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四稜郭(しりょうかく)は、北海道函館市陣川町にある堡塁。国指定史跡となっている。
四稜郭の名は、蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形から付けられたものである。
明治元年、五稜郭を占拠した蝦夷共和国(箱館政権)だが、翌年からの明治政府軍の攻撃により後退を余儀なくされた。
明治2(1869)年、主戦場となる函館近郊を一望でき、五稜郭を防御するため築造されたのが、洋式築城法に基づく堡塁である四稜郭である。
大鳥圭介あるいはブリュネ大尉の指揮の下、脱走軍兵士200名と付近の住民約100名を動員して、2週間ほどで急造した。
しかし、実戦では新政府軍の総攻撃により、わずか数時間で陥落したといわれている。
現在は、復元された土塁だけが残り、一帯は公園となっている。
四稜郭の名は、蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形から付けられたものである。
明治元年、五稜郭を占拠した蝦夷共和国(箱館政権)だが、翌年からの明治政府軍の攻撃により後退を余儀なくされた。
明治2(1869)年、主戦場となる函館近郊を一望でき、五稜郭を防御するため築造されたのが、洋式築城法に基づく堡塁である四稜郭である。
大鳥圭介あるいはブリュネ大尉の指揮の下、脱走軍兵士200名と付近の住民約100名を動員して、2週間ほどで急造した。
しかし、実戦では新政府軍の総攻撃により、わずか数時間で陥落したといわれている。
現在は、復元された土塁だけが残り、一帯は公園となっている。
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