福井城 Fukui-jou
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戦国武将、柴田勝家(しばたかついえ)が、越前一向一揆を鎮圧した功績を称えられ、信長より与えられた北ノ庄城。かつて北ノ庄の砦といわれたその城が福井城の始まりである。
江戸時代には、徳川家康の次男、結城秀康が入城し、慶長六(1601)年から六年の歳月をかけて壮大な天守を建て、その高さは約三〇mにおよび、堂々たるものだったという。
その後、第三代藩主となった松平忠昌(まつだいらただまさ)が縁起をかついで、北ノ庄を「福居」と改名し、やがて「福井」と呼ばれるようになった。
現在では外堀は完全に埋められているが、水で満たされた幅広い内堀や堂々たる石垣が残されている。本丸跡には県庁などが建設されており、立派な風格が感じられ、近世城郭の姿へと想像をかきたてる。
江戸時代には、徳川家康の次男、結城秀康が入城し、慶長六(1601)年から六年の歳月をかけて壮大な天守を建て、その高さは約三〇mにおよび、堂々たるものだったという。
その後、第三代藩主となった松平忠昌(まつだいらただまさ)が縁起をかついで、北ノ庄を「福居」と改名し、やがて「福井」と呼ばれるようになった。
現在では外堀は完全に埋められているが、水で満たされた幅広い内堀や堂々たる石垣が残されている。本丸跡には県庁などが建設されており、立派な風格が感じられ、近世城郭の姿へと想像をかきたてる。
- 住所
- 910-0005 福井県福井市大手3丁目
- 名前
- 福井城