NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


山形 いずめこ人形 Yamagata Izumeko-ningyou 

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 山形のいずめこ人形(いずめこにんぎょう)は、山形県鶴岡市に伝わる伝統民芸品である。
 「いずめ」とは「飯詰」の字があてられる、東北地方の冬期のご飯の保温具で、わらで編んだ丸いかごの事であり、それを利用して乳児をこの中に入れ、揺りかご代わりにしたその姿を「いずめこ」と呼んだという。
 大正初期に鶴岡の玩具工人・大滝武寛が、中に人形を入れた「いずめこ人形」として売り出したのが最初と云われており、現代では、庄内を代表する民芸品となっている。
 わら細工は、編んではわらを継ぎ足すという同じ作業の繰り返しで、実に細かく根気のいる作業であり、直径約30cmのいずめこが完成するのに要する時間はおよそ12時間と言われている。
 山形のいずめこ人形は、人々に親しまれている民芸品である。
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2007/8/17


庄内神楽 Syo-nai-kagura 

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 神楽は、祭典の時に神前に奉納される歌や舞である。大きく、宮中で行われる雅楽や伎楽の宮廷神楽と一般の神社の神事芸能の里神楽に分けられる。
 庄内神楽は、大龍地区にある愛宕地蔵にある古文書に1778年に、御堂造営の際、神主らによって神楽が奏でられたとある。明治の初期には、同好会的な神楽集団が組織される様になり、現在の神楽座の基となっている。
 庄内には大きく分けると、娯楽性の高い10の庄内地区系と、伝統を重んじる2つの阿蘇野地区系の二流派の神楽座がある。両派とも庶民の神楽として古くから伝承され、比較的に早いテンポにのって勇壮に、時にはユーモラスに舞う里神楽である。
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2007/5/15


庄内藩校 致道館 Syounai-Hanko Chidokan The Chidoukan Shyounai Clan School

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 山形県鶴岡市馬場町にある藩校。
 1805年、酒井家九代目藩主忠徳公が士風刷新、人材育成を目的とし創設。
 とかく「表面的なことにとらわれず、その原因、人との接点を見つめなおす努力を怠らずべし」というのがこの藩校での教えの重きところである。
 郷風を刷新するにあたり、教学を持ってすることを信念とし、自ら実践する行動を実際政治に活用した。
 当時幕府は、統制を目的にした「朱子学」を奨励していたが、庄内藩家老は、館に意見を求め、異端とされた「徂徠学」を取り入れたりした。
 文武一道を重んじることは他藩と同様であったが、「徂徠学」の導入を許可されたのは、全国でもここだけであり、まさに革新的行動であった。
 影響力があった人物としては、水野元朗、加賀山寛猛などの名が上げられる。
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2007/5/7


安藤家本陣 Andoukehonjin 

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 安藤家本陣は、宮城県刈田郡七ヶ宿町にある本陣宿。羽州街道と奥州街道を結ぶ山中七ヶ宿街道の滑津(なめつ)宿にあり、江戸時代、秋田藩や庄内藩など十三大名の参勤交代の大名宿となった。
 滑津大滝へ降りる道のほど近くに建ち、旅籠や木賃宿が立ち並んだ山中七ヶ宿街道の中で唯一、当時の面影を残している建造物といわれている。
 安藤家は仙台藩の要害であった角田城の城主角田家の家臣で、文政一二(1829)年からは安藤太郎左衛門が肝煎検断(名主)を勤めた。祖先は西国に住み、関が原の戦いで破れたのち、この地に逃れたと言われる。
 独特の切妻破風造りの玄関と、重量感のある茅葺き屋根が立派な古い屋敷である。
 安藤家本陣は、七ヶ宿街道の様子を今に伝える、大変貴重な建築物である。
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2007/2/16


尾浦城 Oura-jyo Orajo Castle

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 尾浦城は、山形県鶴岡市大山にあった城である。
 尾浦城は高館山から東側に延びた丘陵尾根先端に位置する平山城であったという。
 武藤氏が天文元(1532)年、大宝寺城から大浦に移り築城したのが始まりとされる。
 武藤義氏は上杉謙信の力を背景に庄内を平定したが、東禅寺義長の謀反により自害した。
 以後、武藤家、上杉家、東禅寺家による陣取り合戦が続き、尾浦城所有者は次々と入れ替わった。
 慶長五(1600)年、庄内は最上義光領となり、尾浦城は再建され「大山城」と改名された。
 元和八(1622)年、最上氏改易で廃城になる。
 現在は、鶴岡西高校前の大山公園が城跡となっている。
 尾浦城は、戦乱により次々と主君が替わった城であり、まさに戦国時代の象徴といえる。
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2007/2/12


藤前干潟 Fujimae-higata 

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 愛知県名古屋市にある名古屋港の干潟。2002年11月18日にラムサール条約に登録された。
 臨海工業開発の中で残された、庄内川、新川、日光川の河口に広がる、日本最大級の渡り鳥渡来地である。
 干潟とは、内湾の河口に広がる遠浅の海のことをいい、満潮時には海、干潮時には浜となり、1日2回の潮の満ち引きによって大きく姿を変える。
 川の上流から運ばれる有機物が堆積し活性汚泥ができ、それをゴカイなどの底生生物が食べ、ゴカイを鳥や魚が食べるという食物連鎖がおこる。これによって川の水は浄化され、きれいな海を保つ。
 大規模渡来地に飛来する鳥にはシギ、チドリなど、これまでに1万羽以上の渡来が記録されている。
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