大田原城跡 Ootawara-jyou-ato Ohtawara Castle Ruins
|
大田原(おおたわら)城は、戦国時代に那須七騎のひとりとして活躍した大田原貴清(すけきよ)が天文十四(1545)年に築城。明治四(1871)年の廃藩置県に至るまでの326年もの間、大田原氏の居城となった。
大田原氏は、永正十五(1518)
年に大関氏に大田原から追放されるも、天文十一(1541)年には大関氏を討ち、大田原を奪還。その後豊臣秀吉にも重用され、関が原の戦いでは徳川家に組し、戦後14400石を与えられるなど、一大大名として名を馳せたという。大田原氏は、戦国時代を生き残り、明治維新まで力が衰えることのなかった大名として、非常に稀な例である。
往時は本丸、二の丸、三の丸、北曲輪、西曲輪、馬場などがあり、大名城としては規模の大きいものだったが、現在完存しているのは本丸、二の丸、北曲輪のみ。
大田原氏は、永正十五(1518)
年に大関氏に大田原から追放されるも、天文十一(1541)年には大関氏を討ち、大田原を奪還。その後豊臣秀吉にも重用され、関が原の戦いでは徳川家に組し、戦後14400石を与えられるなど、一大大名として名を馳せたという。大田原氏は、戦国時代を生き残り、明治維新まで力が衰えることのなかった大名として、非常に稀な例である。
往時は本丸、二の丸、三の丸、北曲輪、西曲輪、馬場などがあり、大名城としては規模の大きいものだったが、現在完存しているのは本丸、二の丸、北曲輪のみ。
- 住所
- 324-0053 栃木県大田原市元町
- 名前
- 大田原城跡