NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


宮地手漉和紙 Miyaji-tesuki-washi 

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 熊本県八代市(やつしろし)では、江戸時代から伝わる「宮地手漉和紙(みやじてすきわし)」がつくられている。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の戦いの後、柳川藩主の立花宗茂(たちばなむねしげ)が、肥後藩主の加藤清正に預けられた。その際、柳川藩の御用紙漉きであった矢壁新左衛門(やかべしんえもん)が、加藤家の申し付けにより紙漉きを始め、以来、八代の宮地地区に流れる中宮川で和紙づくりが盛んにおこなわれるようになった。
 その後、檀紙(だんし)や奉書紙(ほうしょがみ)などの装飾紙から、障子紙などの日用紙まで様々な種類の和紙がつくられた。加藤家、細川家、松井家と受け継がれ、御用紙としても重宝され、最盛期では百軒近くの紙漉きが和紙づくりに励んでいた。
 現在でも、大きな鍋釜で煮た楮(こうぞ)と、トロロアオイを原料として、流し漉き法で紙漉きの技術が受け継がれている。
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2008/2/25


三浦小平二(人間国宝) MiuraKoheiji 

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 みうら・こへいじ。昭和八(1933)年三月二一日~平成一八(2006)年一〇月三日。日本の陶芸家。
 佐渡の小平窯という無名の窯元、三浦小平の長男として誕生。昭和二六(1951)年、父の勧めで入学した東京芸術大学在学中に陶磁器の道に入り、卒業後は青磁の伝統技法を学んだ。
 数回にわたり中近東や東アフリカ、アジア諸国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品づくりに励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった南宋官窯に強い影響を受け、これを目標としながら研究を重ねた。
 その結果、佐渡の赤土を下地とした器に青磁釉(せいじゆう)をかけるという独特な技法を開発。さらに、青磁の一部に豆彩(とうさい)の技法を用いて人物や風物を絵付けして作風を確立した。器そのものの形にも感性が反映され、その現代的な感覚は、陶芸の世界に新風を巻き起こして注目された。
 平成八(1996)年に紫綬褒章を受章。平成九(1997)年には重要無形文化財「青磁」保持者(人間国宝)に認定された。
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2008/2/22


賤機焼 Shizuhata-yaki 

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 賤機焼(しずはたやき)は、静岡県静岡市の民窯で焼かれる陶器。江戸時代初期に太田七郎右衛門によって創始され、徳川家康より徳川家の御用窯として朱印地と賤機焼の称号をもらい、数百年にわたって繁栄した。しかし、文政一一(1828)年に安倍川の洪水によって窯場が流失。以後は衰退の一途をたどった。
 明治に入り、太田萬二郎によって再興が試みられるも往年の勢いは戻らず、県が郷土産業として青島庄助を招き再興に乗り出すと、二代目五郎が常滑の技術を、三代目秋果が南蛮手という技術を採り入れるなど尽力し、地方色豊かな焼き物として生まれ変わった。現在は四代目が継承している。
 なお、わずかに現存する江戸時代の賤機焼には「鬼福」と呼ばれる意匠が残されている。これは、徳川家康が三方原合戦で武田軍を駆逐した際に「鬼は外、福は内」と叫びを上げながら戦い勝利したという逸話にちなんでいる。
 静岡という穏やかな風土に育まれ、長い時を経て独特な味わいを備えてきた賤機焼は、使う人の手に馴染みやすく、温かく、優しい。
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2008/1/24


一勝地焼 Isshouchi-yaki 

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 一勝地焼(いっしょうちやき)は、熊本県球磨村(くまむら)の一勝地に伝わる焼物である。
 江戸中期の安永五(1776)年、相良(さがら)藩士の陶工であった右田伝八(みぎたでんぱち)が、江戸で陶法を学び、その後一勝地の場所に優れた陶土を発見し、各地の陶工を招いて開窯したと伝えられている。相良藩の御用窯として保護を受けながら、高い格式を誇っていたが、明治中期に後継者がなく廃窯したという。
 その後、昭和一二(1937)年再興を図り、昭和三二(1957)年に、現在の成田勝人が継承、昭和四六(1971)年に新窯を設け、作陶を続けている。
 一勝地焼は、ほかの焼き物に比べて約一四〇〇~一五〇〇度という、かなりの高温で焼き、飴色の独特の色をだした、素朴な硬質の陶器をつくりあげる。
 茶器や大皿のほか、球磨地方独自の酒器「そらぎゅう」などが作られている。そらぎゅうとは、底が平らではないため、飲み干すまで机に置くことができず、「そら」とすすめられて「ギュウ」と飲み干すとの意味からその名がついた。
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2007/12/25


深山和紙人形 Miyama-washi-ningyou 

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 深山和紙(みやまわし)は、この地が上杉謙信によって治められていた頃から、藩御用紙として使われており、起原は約四〇〇年前といわれている。
 雪深い当地の、冬場の家内工業を支える製品として、また伝統工芸品として、代々受け継がれてきたという。
 深山和紙の材料は楮(こうぞ)と呼ばれる落葉低木の皮である。楮の皮の繊維は長く、繊維が絡み合う性質が強いため、丈夫な紙が出来るという。量産が出来ないため、希少価値も高いとされている。
 その深山和紙はいろいろな製品に利用されているが、中でも深山和紙人形は、手漉き和紙の持つ素朴さと柔らかさが人気の人形である。和紙の温もりが人形の表情を豊かなものにし、観る者もつい微笑んでしまうという。
 深山和紙独特の風合いの良さが活きる、伝統工芸品である。
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2007/11/8


因州和紙 Insyuu-washi 

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 因州和紙(いんしゅうわし)は、鳥取県東部地方で生産される和紙で、製品には画仙紙、書道半紙、襖紙などがある。昭和五〇(1975)年五月、通商産業大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 江戸時代前期から中期にかけて、藩が公務で使う御用紙を全て藩内でまかなうことを目的に作られたのが始まりとされている。明治時代に入ると、県の指導により和紙の原料となる三椏(みつまた)栽培に力が注がれるようになり、製紙工場数は江戸時代の約五百から千三百以上に増加した。昭和時代中期になると、手漉きの画仙紙、書道半紙や工芸紙の生産が軌道に乗り、因州和紙は更なる発展を遂げた。
 製法は、とろろ葵の根から作った液を紙料液に加えて簀桁(すげた)で汲み、揺り動かしながら繊維を絡め合わせ、何度も汲み上げることによって希望の厚さを求めてゆく。この工程には高度な技術と豊富な経験が必要で、名工と呼ばれる職人の漉いた紙は、百枚が百枚とも同じ重さで、厚さにも偏りがないという。
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2007/10/31


山形鋳物 Yamagata-imono Yamagata Iron Casting

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 平安時代中期、安倍貞任(あべさだとう)・宗任(むねとう)の乱を治めるため、源頼義が山形地方を転戦した。従軍していた鋳物職人が、山形市に流れる馬見ヶ崎川の砂や千歳公園の土質が鋳物に最適であることを発見し、その後何人かの鋳物職人がこの地に残った。これが「山形鋳物(やまがたいもの)」の始まりである。
 延文元年(1356)年、斯波兼頼(しばかねより)が山形に入り、霞が城を築城した。その際、鋳物師九人が鋳物御用を申し付けられ献納したと伝えられている。
 元和元(1615)年、銅町九人衆の一人である庄司清吉が、京都などを視察し、足踏式の送風装置である「たたら」を考案、ここに山形鋳物の技術が確立された。
 昭和一三(1938)年頃、銅町には鋳物業は四〇戸、従業員は約八百人もおり、道路をはさんで両側は殆どが鋳物の店で、火鉢・湯釜・仏器などの実用品が盛んにつくられていた。
 昭和四九(1974)年、銅町が手狭になり、鋳物町の山形鋳物工業団地に移転、翌年経済産業省の伝統的工芸品に指定された。
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2007/10/15


四国村 Shikoku-mura Shikoku Minka Museum

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 香川県高松市北東部にある屋島(やしま)といえば、劣勢の平家が新たに本拠地を構えた地であり、名将・源義経との間に壮絶な源平合戦が繰り広げられた地である。
 四国村(しこくむら)は、この屋島山麓に四国各地の歴史ある建物、民家を移築・復元した野外博物館である。
 四国各地から集められた伝統的家屋や市指定、県指定の文化財である農村歌舞伎舞台、旧丸亀藩斥候番所、米蔵であった旧丸亀藩御用蔵などを、ゆっくりと散策することができる。
 また、南の山の斜面に建てられている美術館「四国ギャラリー」には多数の美術品が展示され、バルコニーからは「水景庭園」も楽しめるようになっている。
 特に、農村歌舞伎舞台は、現代ではなかなかお目にかかることが出来ない貴重な保存建物である。
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