NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/25


茨城 八溝川 Ibaraki Yamizogawa 

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 茨城の八溝川(やみぞがわ)は、茨城県久慈郡大子町を流れる河川である。
 県内最高峰を誇る、標高1022mの八溝山の山腹から涌き出た水が集まった川で、全長124kmの久慈川の支流のひとつである。
 弘法大師が山頂に立ち、谷が八つに分かれ、山水が八方に流れ落ちるのを見て、八溝の嶺と名付けたのが名前の由来という。
 源流の沢には、清流でしか生きられないとされているサンショウウオが棲んでおり、下った八溝川には、天然のヤマメやイワナが生息している。
 久慈川と八溝川が合流する渓谷には、古くから安産の神・二十三夜尊(にじゅうさんやそん)の信仰の場として知られている、落差15m、幅10mの月待の滝が存在している。
 八溝川は、川幅が狭く流れも急な、釣り好きで賑わう清流である。
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2008/7/24


徳島 箸蔵寺 Tokushima Hashikura-ji 

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 箸蔵寺(はしくらじ)は徳島県三好市にある標高600メートル箸蔵山の山頂に建つお寺である。
 寺の建立は天長五(828)年、四国行脚中の弘法大師がこの山で金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)とお出会いになり、済世利民(さいせいりみん)世の中の人々を救いなさいというご神託のもとに造られたと伝えられている。そのため別名金毘羅奥の院とも呼ばれている。お寺は山頂にあるためロープウェイが通っている。
 寺は建立から1000年以上も経過し、本堂には弘法大師自ら彫られた御神像が本尊として祀られている。平成一六年には本殿、護摩殿、本坊、薬師堂、鐘楼、天神社が国の重要文化財に指定され、同年、観音堂が県指定の重要文化財に指定されている。
 箸蔵寺は今や寺院としてだけではなく、国の文化遺産としても貴重な存在となっている。また、四国別格霊場札所として訪れる人も多い。
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2008/7/16


終い弘法 Shimai-koubou 

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 終い弘法(しまいこうぼう)は、十ニ月二一日に開催される年内最後の弘法市である。弘法市とは、毎月ニ一日に京都府京都市南区九条町、東寺の境内で開催される市のことをいう。
 天福元 (1233)年に仏師康勝により東寺に弘法大師像が造像されたのをきっかけに、延応二(1240)年から大師のご住房であった御影堂においても御影供法要が執り行われるようになった。これが現在の弘法市のルーツにあたるといわれている。
 歴史の長い市だけに、毎月の市にも古着や骨董品などを中心に多数の露天が開かれ賑わいをみせているが、終い弘法となると、その盛り上がり具合は輪をかけて大きい。終い弘法は、年末に催されるということもあり、年越しに欠かせない品や正月用品などを取り扱うお店も出店し、1000軒以上の露天が立ち並ぶ。東寺への参拝客や市への買い物客が数十万人訪れ、その賑わいは一年の締めにふさわしい活況を呈している。
 京都ならではの色褪せない歴史の匂いを感じながら、年越しの風情を楽しめる催事の一つである。
 
 
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天滝 Ten-daki 

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 天滝(てんだき)は、兵庫県養父市大屋町筏にある落差98mの滝である。日本の滝百選のひとつに選ばれている。
 兵庫県最高峰である標高1509mの氷ノ山(ひょうのせん)を源とする渓流・天滝川に刻まれた氷ノ山後山那岐山国定公園内の天滝渓谷にある。
 名前の通り天から降るように落ちる水が荘厳で力強い。滝の中腹にまで近づく事が出来、いろいろな角度から楽しめる。
 渓谷沿いの遊歩道には落差100mの糸滝や鼓ヶ滝など大小7つの滝があるが、いずれの滝も天滝の引き立て役となる程、天滝の姿には迫力がある。
 弘法大師所縁とする伝承が残り、「大和長谷寺縁起」や「役の行者本記」などにもその名を残している。
 天滝は、大きな落差を誇る、荘厳な瀑布である。
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2008/7/9


金剛證寺 Kongoushou-ji 

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 金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市の朝熊山(あさまやま)南峰の経ヶ峯に位置する古刹で、御本尊は日本三大虚空蔵菩薩の一つ、福威智満(ふくいちまん)虚空蔵大菩薩である。
 伊勢神宮における北東の方角である鬼門を守る寺としても知られている。
 その創建は、第二九代欽明天皇の御代(509~571)、暁台(きょうたい)上人によって明星堂が開かれたのが始まりとされる。
 平安時代の天長二(825)年には弘法大師によって真言密教道場として堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を誇った。
 その後、衰退を見せるも応永年間(1248~1394)に仏地禅師により再興され、以来禅寺に改められて今に至っている。
 現在の本堂は、岡山城主であった池田輝政の寄進により、慶長一四(1609)年に再建されたもので、その一重寄棟造の堂々たる巨宇は国の重要文化財に指定されている。
 境内には約一万柱が立ち並ぶ供養卒塔婆、その卒塔婆道への入り口に立つ極楽門などがある。
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津観音寺 Tsukannon-ji 

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 津観音寺(つかんのんじ)は、三重県津市にある真言宗の古刹である。
 正式には「恵日山観音寺」と称し、地元の人々からは「津の観音さん」として親しまれている。
 和銅二(709)年の開山で、御本尊は阿漕浦の漁夫の網によって出現されたという、聖観世音菩薩で秘仏となっている。
 浅草と大須に並び、日本三観音の一つに数えられており、全国の人々から海上安全や五穀豊穣、所願成就の観音様として深く信仰を集めている。
 時々の権力者達からの庇護も篤く、室町時代には将軍足利義教が勅命を奉じて三重塔を建立し、江戸時代には歴代将軍家や津藩主藤堂家の祈願所として特別の加護を受けていた。
 太平洋戦争時は空襲で伽藍の多くが焼失するも戦後に復興、幸いにも難を逃れた「弘法大師画像」や「豊臣秀吉朱印状」、「千利休書状」など数多くの文化財を有する名刹としても知られる。
 平成一三(2001)年には県内唯一の五重塔が完成し、その隆盛を今も放ち続けている。
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2008/6/2


三鈷の松 Sankono-matsu 

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 和歌山県の高野山に建つ御影堂(みえどう)の前には一本の松がある。松は通常、二葉か五葉だが、まれに三葉の松が存在する。
 それが三鈷の松(さんこのまつ)であり、密教の法具の一つである三鈷杵(さんこしょ)に似ているところからその名がついた。
 その昔、唐で修行した弘法大師が帰国の際、一本のホウキを授けられた。するとそのホウキの間から金色に光る三鈷杵が出てきた。大師は密教の修行にふさわしい場所はどこかを占うため、その黄金の三鈷杵を日本に向かって投げた。
 帰国後、大師は三鈷杵を全国に探し歩き、光り輝く松の木にかかっているのを発見したのが現在の高野山上であったといわれ、真言密教の聖地をこの地に開山した。
 時に大同元(806)年とされる、御影堂前の三鈷の松にまつわる伝説である。
 以来、その松は三葉の松であったことから「三鈷の松」として祀られるようになったのだという。
 現在では参詣に訪れた人々が、縁起物として三葉の落ち葉を持ち帰り、お守り代わりとして大切にされている。
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2008/5/26


総持寺(西新井大師) Souji-ji(Nishiaraidaishi) 

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 総持寺(そうじじ)は、東京都足立区西新井にある真言宗豊山派の寺である。本尊は十一面観音像。別名・西新井大師(にしあらいだいし)とも呼ばれている。
 天長三(826)年、弘法大師が疫病に苦しむ人々の為に自ら十一面観世音菩薩を彫って安置し、21日間の祈祷を行った所、清らかな水が湧き出して病がたちまち癒えた。そこで、霊泉湧出の霊場として寺が建立されたという。
 現在の本堂は昭和四七(1972)年の再建で、これまでに本堂は火災で何度か焼失したが、本尊は難をのがれたことから厄除け火防の大師として、古くから信仰を集めている。
 境内の6箇所には70種、4500株のぼたんが植えられ、ぼたん大師とも言われている。
 総持寺は、ぼたんの名所として知られる寺である。
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