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沼津日枝(ぬまづひえ)神社は、静岡県の沼津市に鎮座し明治に至るまで近郷近在二二ヶ村の総鎮守であった。
嘉保二(1095)年、比叡山の天台僧兵の強訴に対し関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)が兵を向け僧兵に負傷者が出たため、師通は呪詛により急逝してしまう。この事件の翌年の永長元(1096)年、師通の母によって所領地で大岡庄と呼ばれていた現在の地に勧請したのが始まりとされる。
山王信仰に基づいて京都の日吉神社より大山咋神、大己貴神、大歳神の三座を分祀して建立されたため、山王社とも称される。
同社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験記(しほんちゃくしょくさんのうれいけんき)」の一巻が保存されているほか、数多くの古文書類が残されていることでも知られ、境内には同社を訪れた松尾芭蕉の句碑もある。
毎年の九月二三日からの二日間には例大祭も催され、沼津の秋の風物詩として、「山王さん」の愛称と共に今も地域の人々に親しまれている神社である。
嘉保二(1095)年、比叡山の天台僧兵の強訴に対し関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)が兵を向け僧兵に負傷者が出たため、師通は呪詛により急逝してしまう。この事件の翌年の永長元(1096)年、師通の母によって所領地で大岡庄と呼ばれていた現在の地に勧請したのが始まりとされる。
山王信仰に基づいて京都の日吉神社より大山咋神、大己貴神、大歳神の三座を分祀して建立されたため、山王社とも称される。
同社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験記(しほんちゃくしょくさんのうれいけんき)」の一巻が保存されているほか、数多くの古文書類が残されていることでも知られ、境内には同社を訪れた松尾芭蕉の句碑もある。
毎年の九月二三日からの二日間には例大祭も催され、沼津の秋の風物詩として、「山王さん」の愛称と共に今も地域の人々に親しまれている神社である。
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