NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/1


風蓮湖湿原 Fuuren-ko-shitsugen Furen-ko Wetland

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 風蓮湖(ふうれんこ)は、別海町と根室市にまたがる周囲96kmの、海水と淡水が入り交じる大きな汽水湖である。この風蓮湖に注ぐ風蓮川下流に広がっているのが、風蓮湖湿原である。
 風蓮湖は、根室湾の沿岸流によって運ばれて作られた砂州によって風蓮川の水が堰きとめられてできた湖で、直接に根室湾に接しているため、風蓮湖河口近くには、大規模な塩湿地が発達している。
 ここは、オオハクチョウやヒシクイ、シギなど、多くの渡り鳥の飛来地や中継地となっており、また、オジロワシやオオワシ、シマフクロウ、タンチョウなど希少鳥類をはじめとする三〇〇種類近くの鳥類が観察できるという。
 2005年には、鳥獣保護区特別保護地区としてラムサール条約に登録され、大切に保護されている。
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2008/1/15


大鷲(オオワシ) Oowashi 

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 日本に生息する、タカ目とフクロウ目の猛禽類(もうきんるい)の中で最大の種が、大鷲(おおわし)である。
 冬に北日本に渡来し、全長は約100センチメートル、体重は5~9キログラムあり、世界でも屈指の大きさとして知られている。
 黄色いくちばしと白い長い尾が特徴で、翼を広げると実に2メートルを越える。大きさはオスの方がメスよりやや小さい。
 北海道知床半島の羅臼には千羽以上が越冬する。流氷が早くから接岸する年だと、大鷲の数も増えるといわれる。
 冬場にこの海域でタラ漁がおこなわれるため、この地に訪れるといわれ、大きなメスだとサケやタラを捕らえて、海面を数百メートルも飛んでいく姿がみられる。
 主食は魚であるが、東シベリア地方ではアザラシの子どもやホッキョクギツネを捕らえるときもある。
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2007/12/7


澄海岬 Sukai-misaki Cape Sukai

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 北海道の道北の日本海に浮かぶ利尻島と礼文島。その礼文島の西北部にある澄海岬(すかいみさき)は、島を代表する景観の一つである。
 観光バスで訪れることもできるが、礼文島最北端のスコトン岬からゴロタ岬、澄海岬へと歩いて巡る4時間のルートも用意されている。
 断崖絶壁、奇岩怪石の海岸線と入江や岬に群生するエゾカンゾウやエゾシシドウなどの高山植物の織り成す景観は、まさに日本海が造り出した秘境といえる。
 岬から見おろすと、海底の砂地がくっきりと見え、海底に触れられると思わせるほどの海水は、透明度の高い礼文島のなかでも代表格である。
 澄んだ海水は光の射す角度により、色が微妙に変化する。天気の良い日は、南国の海のように鮮やかなブルーを描き出し、刻々と変化する自然が与えてくれる贈物である。
 透明な海に心を鷲掴みされ、いつまでもいたくなる場所である。
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2007/11/15


吉田啓子 Yoshida Keiko Keiko Yoshida

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 浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市のみで販売される縁起物の宝船熊手の製造販売「よし田」(台東区千束)大女将。大正一〇(1921)年生まれ。日本職人名工会認定者。
 「よし田」は現在、昔ながらの手法で宝船熊手を作り続けている唯一の店で、吉田啓子(よしだけいこ)さんは江戸時代から伝わる代々の技法を受け継ぐ職人である。鳶職であった夫が始めた宝船熊手の製造を内職のつもりで手伝ったことが職人となるきっかけ。夫が亡くなって以降は、「よし田」の女将として製造販売を取り仕切ってきた。
 「よし田」の宝船熊手は竹と紙という天然素材だけを使ったもので、竹割り、下絵の型抜き、色つけ、面相(顔描き)、外塗り、刺し込みなどすべて手仕事で行われている。この技法は、現在の女将で長女の吉田京子さんが受け継いでいる。
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宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/10/9


尾鷲わっぱ Owase-wappa Owase Wappa

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 尾鷲わっぱ(おわせわっぱ)は、三重県尾鷲市に伝わる伝統工芸品である。
 江戸時代初期から、弁当箱として庶民の間で広く愛用されていたとされる。
 尾鷲のある紀伊の国は、木の国とも言われ、古くから良質の木材の産地として知られていた。
 この地方の良質のヒノキを利用して作られてきたわっぱは、その頑丈さと、ヒノキや漆に殺菌効果があり、またわっぱの形状が蒸気を外に出す働きがあるので、夏でも食品が痛みにくく、冬は冷めにくいという特色から弁当箱として親しまれてきた。
 機械化が難しく、45工程にも及ぶ行程を経て全て手作りで作られる品で、大変丈夫で何十年も使用できる。
 尾鷲わっぱは、美しく堅牢で、独特の風合いを醸し出す、伝統の弁当箱である。
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2007/9/13


翁倉山 Okinagura-yama 

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 翁倉山(おきなぐらやま)は、宮城県北東部にそびえる北上山地北端部に位置する山であり、南三陸地域の最高峰である。
 標高は532mあり、群山を抜く雄大な山容は、遠く石巻、栗原方面からも望むことができる。
 また、古くから信仰の山としても親しまれ、雨乞いなども行われていた歴史を持つ、地域の人々に愛されている山である。
 モミ林やイヌブナ林、キタゴヨウ林などの、南三陸を代表する中間温帯林が色濃く残されており、多くの野生鳥獣の生息地にもなっている。
 特に代表的なのが国の天然記念物であるイヌワシであり、イヌワシの営巣地として昭和一二年、一四年に長野県で確認された二例に続き、国内で三番目に確認されている。
 頂上は広場になっており、南側には北上川の豊かな流れ、東には志津川湾など、宮城のパノラマを眺望することができる。
 頂上にある祠にお参りをすれば、もしかしたらイヌワシの羽ばたきが、絶景の中に見えてくるかもしれない。
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2007/8/7


真福寺 Shinpuku-ji Shinpukuji Temple

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 真福寺(しんぷくじ)は、愛知県岡崎市真福寺町薬師山にある天台宗の寺である。本尊は水体薬師。通称・三河薬師と呼ばれている。
 推古天皇二(594)年、物部の守屋の次男・真福が、山の頂きにて霊光輝く湧き出る泉を発見した所、薬師如来が水中より顕れた。真福は非常に感激し、本堂を建立したのが真福寺の始まりとされる。
 本堂の中心に八角の御堂があり、その中の井戸の水が本尊である。水の体の薬師、水体薬師といい、この水が目と身体に大変良いという事から、以来1400年、水の信仰が続いている。
 鎌倉時代には最も栄え、36坊の末寺を有した。現在は、身体健康と目のお薬師様として愛知県下はもとより全国から多くの信仰を集めている。
 真福寺は、古い伝説を持つ、今も篤く崇敬されている古刹である。
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