NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/15


瓦 Kawara Kawara Roofing Tile

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 瓦(かわら)は、粘土を練って成形、焼成した屋根に葺く陶器製建材である。
 瓦が歴史上、初めて登場するのは約二千八百年前の中国といわれており、日本には崇峻天皇元(588)年、百済から仏教と共に伝来し、飛鳥寺造営の際、初めて使用されたとされる。
 当時は瓦葺が許された建物は寺院のみであったが、奈良時代に入るとその他の建物でも使用されるようになる。
 江戸時代には新しい瓦の構造が発明され、また、火事対策の耐火建築用品として瓦の使用が奨励されたこともあり、一般に広く普及していくこととなった。
 日本では大きく分けて釉薬を使った「釉薬瓦」と、燻して銀色の炭素膜を形成した「いぶし瓦」に二分されるが、形状については多種多様なものが存在しており、分類すると千を越える種類が存在している。
 現在では、愛知の三州瓦、兵庫の淡路瓦、島根の石州瓦が三大産地として知られており、日本家屋における屋根の代表格の座を支え続けている。
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2008/4/11


暖簾(五三桐) Noren(Gosan-no-kiri) 

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 飯屋や居酒屋の入り口に垂れ下がり、時折風になびかれながら、訪れる客を奥へといざなう暖簾。
 普段、何気なく目にする光景であるが、元々は直接風や光が入るのを防いだり、寒さよけとして取り付けられたものであった。
 いつしか、そこに商店の家紋や職業を表す紋があしらわれ、玄関を飾るようになった。
 日本ならではの情緒と風情を漂わすその暖簾が、例えば自宅にあったらどうだろうか。
 「暖簾(五三桐)」は、そうした希望を叶えてくれる品である。
 縦150cm、横84cmと、サイズもちょうど日本家屋の廊下の出入り口等にかけるのに適しており、手染めの風合いがやさしく、程よい。
 その色合いも本来なら白や青など単調なものが多いが、上に赤、
下に藍と茶と趣ある色使いに五三桐の家紋を施すことで重厚な雰囲気をかもし出している。
 「暖簾に腕押し」という言葉があるが、この暖簾には何か重厚な手ごたえを感じられるかもしれない。
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2008/4/9


いぐさ製センターラグ 花満月 Igusasei-Sentaa-ragu Hanamangetsu 

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 伝統の日本家屋における畳敷きとはまた違った魅力を放つフローリングの床。
 艶のある、清潔感漂う床面は日本における新たなライフスタイルの象徴とも言えるだろう。
 そこに慣れ親しんだ畳が持つ和のスタイルを持ち込み、フローリングの部屋にさらなる落ち着きとくつろぎをもたらせないかと考えられたのが「いぐさ製センターラグ 花満月」である。
 191×250cmの手ごろなサイズで敷く場所を選ばず、中心には「花満月」をイメージした円が描かれた大胆なデザインとなっており、どこに敷かれてもそこが団欒の中心となるような印象的なものとなっている。
 色合いは、高級備中染めによる趣ある黒といぐさの持つ地の色合いとを花満月を中心に四分割した対照的なもので、直線と曲線が巧みに融合して見事な清潔感を表している。
 伝統の素材が持つ光沢ある仕上がりは、どんな部屋にもすぐに馴染み、そこに住まう人々にくつろぎを提供してくれることだろう。
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2007/10/5


足助夏まつり Asuke-natsu-matsuri 

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 毎年八月のお盆に、足助川(あすけがわ)の遊歩道の1400キロの区間に約7000本の蝋燭を灯す夏まつりが開催される。
 この夏まつりは八月四日から一五日まで足助の古い町並み一帯でおこなわれる「たんころりん」と平行して行われる。
 たんころりんとは、油の入れた陶器の碗に芯を浸し火を付け竹篭を被せた、円柱状の行灯である。
 名前の由来は、灯りの影がひょうたんに似ているからとも、油を入れる椀にひょうたんの底を使い、それが不安定でころがることからとも言われている。
 ひょうたんころりんと呼ばれ、それが略されてたんころりんやたんころと呼ばれるようになった。
 この足助の人たちが試行錯誤で作り出したたんころりんが町並みに沿って点々と灯される。蝋燭の灯りで、美しい黒壁、白壁や格子戸を持つ伝統的な日本家屋が濡れたように光り輝く。
 情緒あふれる足助の町並み、川辺の遊歩道、橋の欄干が淡い光で満たされ、川面に揺らめき幻燈的な夜を演出する。また花火大会も開催される。
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2007/4/19


静岡 中村家住宅 Shizuoka Nakamura-ke-jyuutaku The Nakamura Family’s Residence in Shizuoka

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 静岡の中村家住宅は、静岡県浜松市雄踏町宇布見にある歴史ある日本家屋であり、国の重要文化財に指定されている。
 文明15(1483)年、今川氏に招かれた中村正実は、宇布見に屋敷を構えた。16世紀の今川氏の時代には、家臣として代官を勤め、浜名湖の軍船を支配した。
 その後徳川氏に仕え、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めた。
 屋敷は、貞享5(1688)年頃に建てられたと思われる。約3000平方メートルの敷地を持つ寄棟造葦葺平屋建で、大きな茅葺き屋根と周辺の木々が、歴史的な景観を醸し出しており、地域の宝となっている。
 今の屋敷は、平成13〜15年にかけて解体・復元工事を行ったものである。
 中村家住宅は、当時の様子を今に伝える地域に縁深いの建築物である。
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2007/3/27


双柿舎 Soushi-sya 

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 双柿舎は静岡県熱海市に位置する坪内逍遥の邸宅である。
 大正九(1920)年に建てられたもので、逍遥が晩年を過ごした。
 建物は逍遥自らが設計を行なったもので、木造二階建ての日本家屋と母屋、鉄筋コンクリート造りの仏塔のような外観の書屋が建ち並ぶ。庭先には舎名の元となった二本の柿が建ち並び、現在は二代目。
 逍遥はこの地で、自身最大の業績のひとつである「シェークスピア全集」の全訳を行い、完成させた。
 現在は早稲田大学に寄贈され、一般に開放されている。
 邸内には当時の資料が遺され、明治時代の文豪に思いをはせることが出来る。
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