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熊野奥照神社(くまのおくてるじんじゃ)は、当初、現在の津軽半島の小泊にあたる奥尾崎に立てられたらが、延暦七(788)年、後の弘前市となる扇野庄に移築された。
大同二(807)年、坂上田村麻呂が、蝦夷征伐にあたり勝利を祈願した神社といわれている。
現在の本殿は、慶長一八(1613)年に二代藩主・津軽信枚が再建した。
簡素な造りではあるが、室町から鎌倉時代にかけての建築様式が随所に見られ、屋根の懸魚(げぎょ)や桁隠(けたかくし)の彫刻等には桃山時代と見られる珍しい建築様式も取り入れられるなど、幅広い年代の技を見ることができる。
地方色が少ない点において資料的価値も高く、国重要文化財に指定されている。
大同二(807)年、坂上田村麻呂が、蝦夷征伐にあたり勝利を祈願した神社といわれている。
現在の本殿は、慶長一八(1613)年に二代藩主・津軽信枚が再建した。
簡素な造りではあるが、室町から鎌倉時代にかけての建築様式が随所に見られ、屋根の懸魚(げぎょ)や桁隠(けたかくし)の彫刻等には桃山時代と見られる珍しい建築様式も取り入れられるなど、幅広い年代の技を見ることができる。
地方色が少ない点において資料的価値も高く、国重要文化財に指定されている。
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