NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


古高鼓踊り Furutaka-ko-odori The Koodori Dance in Furutaka

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 古高鼓踊り(ふるたかこおどり)は、滋賀県守山市古高町の大将軍神社にて行われる神事である。県の選択無形民俗文化財に指定されている。
 大将軍神社は、衣装に工夫を凝らし拍子・物や歌に合わせ舞い踊る「風流踊り」の流れを汲む古高鼓踊りが継承されている社である。
 鼓踊りは鎌倉時代から始まったとされ、庶民の間で踊られていた田楽踊りに由来し、雨乞いや慈雨に恵まれた時のお礼参りに、独特の節回しの歌声に合わせ踊られる。
 日照りと干ばつに悩まされた農民はその昔、最愛の娘を人身御供に差し出して、雨乞いを祈願した事もあったと伝えられている。
 四人の音頭取りが中央で独特の歌詞を歌い、その周りで太鼓打ちや軍配を持った「ごんべ」や、団扇を持った五〇人の踊り子が二重の輪になって踊るなど、全部で一九もの踊りが存在する。
 古高鼓踊りは、庶民の思いが込められた伝統の民俗芸能である。
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2007/10/17


東近江 最上踊り Higashi-oumi Mogami-odori The Mogami Odori Dance in Higashiomi City

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 東近江市は市町村合併に伴い、豊かで多様な伝統文化が受け継がれる町として知られている。「最上踊り(もがみおどり)」もこの地に受け継がれる貴重な民俗芸能のひとつである。
 最上踊りは平安末期から中世にかけて流行した芸能、風流(ふりゅう)の中の小歌踊りに分類される踊りであるとされ、素朴な中にも優雅さが感じられる踊りである。
 出羽国の名族最上家は、家臣間の派閥争いの結果、元和八(1622)年に所領没収となった。その後山形から近江に移され、この地に大森陣屋を構えることとなった。その前で、領民が藩の繁栄を願って披露した唄や踊りが、最上踊りと名づけられ、この地に三〇〇年以上伝わるようになったといわれている。
 現在では保存会が結成され、最上家ゆかりの地である山形でも披露されることがあるという。
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2007/9/27


隠岐武良祭風流 Oki-mura-matsuri-fuuryuu Oki Muramatsuri Furyu

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「隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)」は隠岐三大祭りのひとつで、隔年の一〇月一九日に行われている。
 その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
 元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
 両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
 さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
 古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/25


皆一踊り Minaichi-odori The Minaichi Odori Dance

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 皆一踊り(みないちおどり)は、島根県隠岐郡知夫村郡に伝わる、民俗芸能である。村の無形民俗文化財に指定されている。
 室町時代の頃から続く、狂言小唄の面影を残すとされる民間伝承の踊りとされる。
 毎年旧暦の八月一五日に、島内の村役場近くにある一宮神社境内にて奉納されている。
 起源は不明であるが、本来は豊作祈願として奉納されていたが、風祈祷や雨乞いの際にも歌詞を変えて奉納されることがあったと言われている。
 雨ごいの歌や太鼓のリズムに乗せ、扇子を手にした人々が輪になりって太鼓を囲み、ゆるやかな歌と太鼓に合わせてゆったりと優雅に踊る。
 皆一踊りは、古くから続いてきた、狂言風流系の珍らしい郷土芸能である。
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2007/8/16


鹿島の面浮立 Kashima-no-Menburyuu Men Buryu in Kashima

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 鹿島の面浮立(かしまのめんぶりゅう)は、佐賀県鹿島市など、同県南西部一帯に古くから伝わる伝統芸能だ。
 浮立とは、平安時代の娯楽であった風流が語源とされ、毎年の秋に佐賀県南西部を中心に、各地で様々なスタイルによって奉納される神事芸能でもある。
 般若の面に似た面長の鬼面をつけ、体の前面に鼓を持った踊り手が鉦(かね)や太鼓が鳴り響く中で、豊作や雨乞い、悪霊退散を神に祈願して踊る鬼面芸の一種だ。
 その起源は、戦国時代の戦において、一帯を治めていた武将が一族郎党に鬼の面や獅子面の一種である赤熊(しゃぐま)をつけさせ、陣鉦や陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事に基づいているといわれる説や、耕作に害をなすといわれる悪霊を封じ込め、豊作を祈願する神事として今の面浮立が確立されていったと言われるなど、諸説ある。
 太鼓を叩きながら、模様のついた法被に白い股引といったスタイルで鬼面をつけて踊る姿は、悪霊を退散させるには充分な迫力と勇壮さを魅せてくれる。
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2007/2/13


獅子舞 Shishi-mai Shishi-mai Dance

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 中国から伝えられたとされる獅子舞は日本全土に広がり、いろいろなバリエーションがある。
 お囃子に合わせて舞う獅子舞は、大きく分けて、中国の様に、複数人数で舞う伎楽系と一人が一匹を担当する風流系の獅子舞がある。舞い方も諸流派あり、風流系や神楽系を中心に数々の舞いが存在し、同じものは二つとないと言われている。獅子の頭部(獅子頭)は木製(桐)が多いのだが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。
 元々の中国も、古くからあり、現在演じられているものは清の時代に確立された形で、競技もある。旧正月や商店の開店祝いなどで演じられ、中華街においても各町に獅子舞団があり、イベントごとに演じられている。
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2007/1/25


かんこ踊り Kanko-odori The Kanko Odori Dance

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 かんこ踊りは、三重県伊勢市とその周辺で踊られる盆踊りである。別名シャグマ踊り。
 かんこ踊りは胸に「かんこ(羯鼓)」と呼ばれる締め太鼓を下げ、両手のバチで打ち鳴らしながら踊る民俗芸能で、かぶりものや背にかつぐものが、大型で華やかな風流芸能である点も特徴である。
 お盆に先祖の供養、或いは新盆の供養のために踊られるもので、10〜15人が輪になって踊る。
 頭に「しゃぐま」と呼ばれる被り物をかぶったりするタイプと、花笠をつけたりして優雅に踊るタイプの2通りがある。
 「しゃぐま」は馬の毛を糊で固めたもので、腰蓑と調和し、美しく幻想的な世界を作り出す。
 かんこ踊りは、白装束で太鼓を抱え、打ち振りながら、時には激しく踊り、練り歩く。そのさまは大変派手で、勇壮である。
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2006/12/20


武雄の荒踊り Takeono-araodori The Wild Dance of Takeono

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 佐賀県武雄市で毎年秋の彼岸ごろに行われる「武雄の荒踊り」。色鮮やかな衣装に刀を差した男性の踊り手たちが勇壮にそして厳かに踊る舞浮立(まいふりゅう)のひとつである。
 起源には諸説あり、室町時代の享禄三年(1530)年、武雄領主後藤純明が、攻めてきた島原の有馬氏を破った際、戦勝を祝って兵士たちが即興で踊ったのが始まりというのが有力だ。他に、領主が平家の落人を住まわせ、雨ごい祈願に奉納したのがきっかけという説もある。
 武雄市の中野、宇土手、高瀬地区などに伝わり、三地区の踊りには、所作に違いが見られる。中野地区のものは動作の滑らかさ、手の振りに特徴があり、高瀬・宇土手地区のものは力強く、武道の型を思わせる。力強く軽快な所作や情緒的な歌詞など、伝承芸能としても貴重で、国指定の重要無形民俗文化財になっている。
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