NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/23


聞香炉 Monkouro 

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 聞香炉(もんこうろ)は、香道で用いる、香木を加熱し、香気を発散させる目的で用いる、蓋を持たない器である。
 火気を使用する関係上、材質には不燃性、耐熱性が求められる。そのため、陶磁器や金属、石材などで作られていることが多い。
 香道は、室町時代におきた日本の伝統文化であり、仏教と共に日本に伝えられた香は、平安時代には個人の趣好・知的感覚により薫物が作られ、室町時代・東山文化隆盛の頃に、香木を使用する聞香形式が整え出された。
 通常一対で用いられ、青磁、染付等の少し大きめの蕎麦猪口のようなもので、高さは6~8cm、直径は6~7cm、底には3つの高台が付いている。
 聞香炉は、香道において、自然を感じ、四季を想い起こさせる香りの世界を堪能するための、優雅で高尚な香道具である。
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2007/8/14


白鶯太鼓 Hakuou-daiko 

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 白鶯太鼓(はくおうだいこ)は昭和五八(1983)年、宮城県栗駒山のふもと、栗原市鶯沢町(うぐいすさわちょう)に誕生した、比較的新しい郷土芸能である。過疎化の進むこの地域に活力を呼び戻そうと「白鶯太鼓鶯鳴会(はくおうだいこおうめいかい)」が結成され、演奏イベントが行われている。
 生で聞く和太鼓は、やはり迫力が違う。力強く荒々しい太鼓の響きの中に「ホー、ホケキョ」と繊細な笛の音が混じる。源頼義が阿部頼時・貞任父子討伐の際、八幡神社の北側に陣取り敵とにらみ合いを続けていたところ、白いウグイスが飛んできて旗竿に止まり、ひと啼きするや味方の勢いがにわかに強まり、ついには勝利を収めたという史実を元に創作された。
 白鶯太鼓には、これらの伝説や自然の情景、人々の思いが込められている。創作和太鼓の会の指導により、町内で白鶯太鼓を体験することもできる。
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2007/7/3


東雲湖 Shinonome-ko 

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 東雲湖(しののめこ)は、北海道のほぼ中央にあたる大雪山国立公園にある唯一の自然湖だ。
 湖というよりはどちらかというと沼といった雰囲気に近く、その周囲は熊笹に覆われている。
 北海道の三大秘湖の一つであり、湖から臨む雄大な景色を堪能しようと訪れる人々も多い。
 とはいえ、近くまで車で行くことは出来ず、湖まで片道およそ90分ほどを徒歩で行くことになる。途中のややうっそうとした湖畔の森を抜けると同時に眼前に広がる景色には思わず息を呑むほどの美しさだ。
 夏の東雲湖周辺は一面、緑の絨毯に覆われ、その景色が映りこんだ湖面は、自然という名の画家のキャンバスに変貌する。
 湖の周囲はナキウサギやエゾシマリスの生息地となっており、運がよければ、ばったりと出くわすこともある。
 湖畔に響くナキウサギの鳴き声も聞くことができるかもしれない。
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2007/6/18


白老ポロトコタン Shiraoi-Porotokotan Porotokotan at Shiraoi

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 北海道西部にある白老町。その町のポロト湖畔にそれは建っている。
 アイヌ民族の伝統的なかやぶきの家「チセ」が四棟。これは、アイヌ文化の普及と公開を目的として、白老に昔からあったアイヌ集落を1965年に復元したものだ。
 それを白老ポロトコタンと名付け、一般にも公開された。その後、アイヌ民族博物館が併設され、今に至っている。
 ポロトコタンとは、アイヌ語で「大きな沼の村」という意味を持っている。
 博物館ではアイヌ民族の伝統や生活を知ることができ、復元されたチセの中では、その生活習慣や風習、行事などの説明を聞くことが出来る。
 また、常時公開されている民族楽器ムックリの演奏や、国の重要無形民俗文化財にも指定されているアイヌ古式舞踏は必見の価値ありだ。
 古来からのアイヌの人々の伝統や風習、そして魅力的な舞踊や音楽を五感をフルに活躍させて楽しむことが出来る。
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2007/5/22


山梨 塩沢寺 Yamanashi Entaku-ji 

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 塩沢寺は山梨県甲府市湯村に位置する真言宗智山派の寺院である、山号は福田山。
 大同三(808)年、弘法大師空海がこの地に霊験を感じ地蔵菩薩を彫り、安置したのが始まりとされ、天暦九(955)年に空也上人の手により開山された。
 本尊は石造地蔵菩薩座像、本殿の地蔵堂は国の重要文化財に指定されている。
 境内には舞鶴の松と言われる県指定の文化財や、日本最北端と言われる白樫の自然林が広がり、美しい緑を見せている。
 毎年2月13日の午後0時から14日の午後0時までの24時間、厄除け地蔵尊祭が行われる。地蔵菩薩がこの日一日だけ耳を開いて願いを聞くと言われ、十万人もの人が訪れ賑わう大祭である。
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2007/4/26


鹿おどし Shishiodoshi 

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 「鹿おどし(ししおどし)」は、別名「僧都/添水(そうず)」とも呼ばれる。元々は農村地帯で田畑を荒らす鹿や猪、鳥を音でおどして追い払う農具である。
 水の入り口部分だけくり抜いた竹筒に、筧から水を引き入れ、半分以上水が溜まると傾いて水が外へ出る。傾いた時に、空の竹筒が叩き台の石に当たって、快い音が辺りに響き渡るようなっている。
 現代では、日本庭園などで見られるように本来の用途ではなく、風情の一つとなっている。
 空の竹筒が石を打つときの余韻は味わい深いものがあることから、音を聞くものとして実用を離れ、風流人たちの手によって庭園の点景として取り込まれていった。江戸期の漢詩人、石川丈山が興した京都詩仙堂のものが有名である。
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2007/3/26


横山八幡宮 Yokoyama-hachiman-guu 

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 古墳時代の白鳳九(680)年創建の古刹。岩手県宮古市宮町に所在する。
 数々の歴史上の人物にゆかりのある宮である。和銅年間(708〜715年)、歌人の猿丸太夫がこの地に流された際に神官になり、「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という歌を詠んだとされる。
 また、鎌倉時代の正治元(1199)年には、源義経主従が参詣に訪れ、宿泊したとも伝えられる。この際、随行の家臣、鈴木三郎重家がかなりの老齢のため、ここに残留し、名前を重三郎と改称してこの宮の神主になったのだとか。
 横山八幡宮は風光明媚で和歌を詠む絶景ポイントでもあり、「宮古八景」のひとつに数えられ、短歌や漢詩など文学作品が多く残されている。
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2007/3/6


水落遺跡 Mizuochi-iseki 

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 水落遺跡は奈良県高市郡明日香村から出土した、飛鳥時代の水時計の遺構である。
 日本書紀に「初めて漏刻(ろうこく)を造る。民をして時をしらしむ」と記された水時計は、斉明天皇六(660)年、中大兄皇子が造ったもので、堀で囲まれた堅固な楼状の水時計建物の中に配水管を通し、水が落ちることで時間を計測する漏壺を建物中央に配置して時間を計る大規模なものであった。
 当時、律令国家として中央集権制度を整えていた日本にとって、正確な時間は必要不可欠とされ、計測された時間は太鼓と鐘により伝えられ、都の全ての場所で聞くことができたと言う。
 現在、飛鳥資料館で発掘された模型を見ることが出来る。
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