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2008/2/7


木葉猿 Konoha-saru 

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 熊本県玉東町(ぎょくとうまち)の木葉に伝わる「木葉猿(このはさる)」は、郷土玩具の中で、最も古いものの一つであるといわれている。
 養老七(723)年の元旦に「虎の歯(このは)」の里で生活していた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祀った。そして木葉山の赤土で祭器をつくった際、残りの土を捨てたところ、それが猿に化けたという言い伝えがあり、木葉猿が誕生したといわれる。
 型を使わず、指先だけで粘土をひねる技法で猿の土焼人形をつくり、素焼きにしたままの伝統玩具である。
 昔から素朴さとユーモアある姿は人気があり、大正時代後期には、全国土俗玩具大番付で東の横綱になった。最近では彩色したものもあり、三匹猿・子抱猿・飯喰猿など合わせて一〇種類程あり、悪病、災難除け、子孫繁栄、子授けなどのお守りとして多くの人々に親しまれている。
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2007/12/28


人里獅子舞 Henbori-shishi-mai 

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 古くから受け継がれてきた伝統芸能が多く残る桧原村。その伝統芸能のひとつである獅子舞は、全て三匹獅子によるもので、起原は室町時代にまでさかのぼるといわれている。
 人里(へんぼり)地区にも古式ゆかしい人里獅子舞が伝承されている。人里獅子舞は九月の中旬に、豊作を祈願して五社神社に奉納される舞である。
 「庭がため」から始まり、「ふじがかり」「三拍子」「笹がかり」など一一の演目が次々と披露される。
 祭りの最後は「大太刀がかり」で締めくくられる。二組の太刀引きと獅子によって演じられる、真剣勝負の舞である。太刀引きとの争いに勝った雄獅子が刀を口にくわえる場面は、祭りのクライマックスである。
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数馬の獅子舞 Kazuma-no-shishi-mai 

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 毎年九月第二日曜日に、九頭竜神社(くずりゅうじんじゃ)に奉納されるのが、この地方に多く伝えられている三匹獅子による獅子舞である。この祭礼では「数馬の獅子舞(かずまのししまい)」の他にも太神楽や、「馬鹿面囃子」と呼ばれる、ユニークな伝統芸能も交互に見られるという。
 数馬の獅子舞は三匹獅子と女装したササラ役の花笠四名で演じられる。前半は優雅な女舞が披露されるが、後半になると荒々しい、太刀などを使った勇壮な舞へと変わる。
 この地に伝わる三匹獅子の起源は寛元三(1245)年とも伝えられており、とても永い歴史を持つ。都の無形文化財にも指定されており、地元の人々がその伝統を今も受け継いでいる。
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白髭神社獅子舞 Shirahige-jinja-shishi-mai 

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 高さ約三〇mもある巨大な岩を御神体として祀っている白髭神社(しらひげじんじゃ)。境地区の鎮守である当社の例祭に、毎年八月、古くから奉納されているのが白髭神社獅子舞(しらひげじんじゃししまい)である。
 この地方には多くの獅子舞が伝承されており、民俗芸能の宝庫とも呼ばれているが、その起原は定かにされていない。
 白髭神社獅子舞は鹿島から師匠を招いて伝授をされたのが始まりとされている。獅子頭には享保五(1720)年作という刻銘があり、三〇〇年近い歴史があることが伺える。
 三匹獅子に加え、唄方ニ名、笛方六名、花笠六名、大太鼓一名、小太鼓一名、道化一名で構成され、舞が次々と賑やかに披露される。
 保存会や愛好会などに支えられ、五穀豊穣を祈願して奉納されつづけている。
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棚沢獅子舞 Tanazawa-shishi-mai 

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 獅子舞は奥多摩地方に古くから多くの地域に伝承されている伝統芸能である。棚沢獅子舞(たなざわししまい)は毎年八月、熊野神社の祭礼に奉納されるものである。
 時期は定かでないが、文政年間(1819~1829)に、奥氷川神社の獅子舞から伝わったものが始まりといわれている。
 祭礼当日は早朝より、村内の拝所巡りが行われる。まず熊野神社で社殿を七周する「宮詣り」が奉納された後、山の神、愛宕神社、獅子宿、将門神社、不動堂、正法院などの舞を各地で披露し、熊野神社に戻ってくるという。
 構成は三匹獅子に花笠四名、囃子方三名、笛方、唄方各数人名ずつとなっている。唐草模様の衣装を身につけた獅子舞達の、躍動感のある舞は、勇壮で美しいものである。
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白丸の獅子舞(元栖神社獅子舞) Shiromaru-no-shishi-mai(Motosu-jinja-shishi-mai) 

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 白丸の獅子舞(しろまるのししまい)は、白丸地区の鎮守の元栖神社(もとすじんじゃ)の八月の例大祭において、村内各社寺に奉納される伝統芸能である。
 この地区には多くの獅子舞が伝えられており、それぞれ三〇〇年以上の歴史を持つとされているが、起源は明らかにされていないという。明治半ば頃に、一時廃絶した白丸の獅子舞だが、明治の終わりから昭和にかけ、若者衆が中心となり先人達の教えを受け復活、今に伝えられているという。
 三匹獅子という形に加え、道明一名、囃子方二名、笛五名、棒使い二名によって、「神立ち」「場狂い」「洞入り」などの演目が次々と披露される。
 早朝から夕方まで、小さな集落の住民たちが参加し、天下泰平・五穀豊穣・家内安全を願って行われる祭りである。
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日原の獅子舞 Nippara-no-shishi-mai 

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 日原の獅子舞(にっぱらのししまい)は一石山神社(いっせきやまじんじゃ)の年一回の祭礼に、地区内の各社へ奉納される舞のことである。
 この獅子舞は慶長一七(1612)年、出羽国湯殿山から僧道栄が「三つの獅子頭」を持ってきたことから始まったと伝えられている。
 この地方に伝わる獅子舞の多くは、勇壮な男獅子を中心とした舞だが、日原の獅子舞はとても古典的で優雅な舞とされている。まず女獅子が出てきて、仲太夫、次いで太夫を連れだして三匹になる。全ての舞において、女獅子が先導するという。
 古式ゆかしい、優雅で繊細な女獅子の舞と、温厚かつ剛健な男獅子の舞が楽しめる、珍しい祭礼である。
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2007/12/11


青梅 常福院 Oume Jyoufuku-in 

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 青梅にある常福院(じょうふくいん)は、標高七五九メートルの高水山(たかみずさん)の頂上付近にある真言宗の寺で、安楽寺の末寺として知られる。高水山は岩茸石山(いわたけいしやま)、惣岳山(そうがくさん)と共に高水三山と呼ばれている。
 不動堂の正面に、大きな木製の剣が祀ってある。不動堂には本尊である浪切白不動(なみきりしらふどう)像があり、波を切る不動の姿からその名がついたといわれている。
 建仁三(1203)年、この不動を崇拝した畠山重忠が再建したが、その後山火事があり、文政五(1822)年に現在の不動堂が立てられた。 
 また境内にある鐘楼には、享保三(1718)年に鋳造された銅鐘がかけられている。
 毎年四月八日に近い日曜日に奉納される「高水山古式獅子舞」は、三匹獅子舞として知られる。明治四三(1910)年に市の無形民俗文化財の指定を受け、戦時中も途絶えることなく毎年奉納されていた。
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