NIPPON Kichi - 日本吉

2008/5/22

岸和田城(千亀利城) Kishiwada-jou(Chikiri-jou) 

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 大阪府岸和田市の「岸和田城(きしわだじょう)」は、建武元(1334)年に当時「岸」と呼ばれていたこの地に楠木正成の一族である和田氏が城を築いたのが始まりである。「岸和田」という地名の由来でもある。
 近世城郭として整備されたのは、天正一五(1587)年に現在の地に小出秀政が入封し行ったもので、慶長二(1597)年には五層の天守閣が完成した。 元和五(1619)年に松平康重が入封し、城下町の整備を行った。寛永一七(1640)年に岡部宣勝が入封すると城郭の大改築が行われ、伏見城の櫓や城門が移築された。また石垣を積み、津田川沿岸の堤防を改築、総曲輪をもつ連郭式平城が完成した。
 文政一〇(1827)年、落雷で天守閣が焼失したが、昭和二九(1954)年に再建され、現在、天守閣や隅櫓は資料館として岡部氏の遺品や郷土史料を展示している。また本丸内の八陣の庭は、「諸葛孔明の八陣」に擬したもので近代感覚を取り入れた石庭として知られている。

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住所
596-0073 大阪府岸和田市岸城町9ー1
名前
岸和田城(千亀利城)
電話
072-431-3251
HP
http://www.city.kishiwada.osaka.jp/hp/m/m97a/m97as...




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