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2007/2/7


烏土塚古墳 Udozuka-kofun 

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 烏土塚古墳(うどづかこふん)は、奈良県を流れる竜田川の西岸、南北方向の独立丘陵に築造された前方後円墳。古墳時代の豪族、平群氏の墓とされる。昭和四六(1971)年、国の史跡に指定された。
 奥行き14.2メートル、玄室の高さ4.2メートルの石室は、飛鳥の石舞台古墳に次ぐ大きさを誇っている。築造年代は、平群氏最盛期の6世紀中期と見られるという。
 玄室から羨道、前庭部にかけて排水溝がめぐらされ、玄室のやや奥に組合式の家形石棺が安置。石棺の東側の石には斜格子の線彫りが刻まれている。
 石室内の組合式石棺を保護するために、通常は石室を施錠されている。
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2007/1/25


こうもり塚古墳 Koumoriduka-kofun Koumoriduka Archeological Site

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 国指定史跡、「こうもり塚古墳」。六世紀後半に自然の丘陵を利用してつくられた全長約100メートルの前方後円墳だ。
 「こうもり塚古墳」の名は、こうもりが棲みついたことから付けられた。横穴式の石室は全長19.4メートルと、奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさだ。長い羨道とその奥の玄室とから成っている。玄室には家の形の大きな石棺が納められている。この石棺は井原市野上町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料とした、くり抜き式の石棺。ほかにも陶棺や木棺が納められており、後期古墳に一般的な、複数埋葬であったことが窺われる。
 この古墳は、大きな墳丘や内部の石室、石棺などに見られるように、多くの労働力を集められるほどの勢力を誇った支配者層の墳墓であることを示しているといわれる。
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野方遺跡 Nokata-iseki The Ruins of Nokata Village

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 野方遺跡は、福岡県福岡市西区野方にある、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡である。
 標高17〜20mの扇状地にあり、南北600m、東西200mの南北に細長い台地にある。
 弥生時代には大小2つの溝を巡らし、大きい環濠には住居が10軒程度たてられていた。小さい環濠の中には高床式倉庫が建てられ穀物等を貯蔵していた。
 古墳時代になると300基以上の住居が建てられた。墓地は住居から離れ、住居と墓地を区分けしていたことがわかる。
 環濠からは、土器、石器、鉄器に混じって、サメ、タイ、スズキなどの魚類や貝類、鳥類、動物の骨が出土しており、石棺からは鏡、玉、太刀、管玉、ガラス玉等が出土している。
 野方遺跡は、古代日本の営みを想像出来る、歴史的で感慨深い場所である。
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金隈遺跡 Kanenokuma-iseki Kanenokuma Ruin

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 金隈遺跡は、福岡県福岡市博多区にある墳墓遺跡である。
 標高30mの丘陵上に、甕棺墓348基、土壙墓・木棺墓119基、石棺墓2基が発見された。
 甕棺墓では小児用の数が圧倒的に多い。残された人骨の一部には抜歯の風習がみられた。
 金隈遺跡は、紀元前2世紀頃から西暦2世紀頃まで、約400年に渡って使用された弥生人達の共同墓地の跡である。しかも、副葬品や埋蔵物に、鏡などの権力者が保有していたと見られるものが全くないことから、一般弥生人、つまり庶民達の墓地であることが確認された。
 現在史跡公園として整備され、展示館内では、弥生時代の甕棺墓や土壙墓が発掘された姿のまま見学できる。
 1972年、国の史跡に指定される。
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