NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


青島盆踊り Aoshima-bon-odori 

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 愛媛県大洲市の青島盆踊り(あおしまぼんおどり)は、毎年八月一三・一四日に開催される大掛かりで華やかな伝統行事である。
 一三日には魚を供養する賑やかな踊りの大漁踊りが、一四日には死者の霊を慰めるため、赤穂四十七士の亡者踊りが披露される。討ち入りの衣装や、鎧兜などを身につけ舞う亡者踊りは哀愁を帯びた印象である。
 青島は一七世紀までは無人島であったが、島原の乱により頻繁に船が往来しはじめ、播磨(はりま)の漁師が立ち寄ったことをきっかけに、播州(ばんしゅう)からの移住者が増えた。それが青島の盆踊りが赤穂四十七士にまつわる由来とされる。現在は県指定の無形民俗文化財に指定されている。
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2008/9/5


播州三木打刃物 Bansyuumiki-uchihamono 

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 播州三木打(ばんしゅうみきうち)刃物は、兵庫県三木市で生産される金工品で、主な製品に鋸(のこぎり)、のみ、鉋(かんな)、小刀などがある。平成八(1996)年四月、通商産業大臣(現経済産業大臣)から伝統的工芸品の指定を受けた。
 播磨地方は播磨国風土記にも記述が見られるように、製鉄・鍛冶の神である天目一箇命(あめのまひとつのかみ)ゆかりの地で、古代より大和鍛冶が盛んだった。さらに五世紀頃、百済より韓鍛冶の技術が渡来して三木鍛冶の礎となった。一六世紀末、羽柴秀吉の三木城攻めによって町が破壊されると、その復興のため各地から大工が集まり、大工道具の需要が一気に増えたことによって、播州三木打刃物は発展を遂げた。
 材料には鉄や炭素こうを用い、主な技法として、つち打ち、焼き入れ、ひずみ取りがある。現在は十数名の伝統工芸士が、この手作りの技を守り伝えている。
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2008/8/22


一乗寺 三重塔 Ichijyou-ji Sanjuu-no-tou 

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 一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市坂本町にある天台宗の寺である。本尊は、聖観音像。西国三十三箇所第26番、播磨西国三十三箇所第33番札所とされる。
 白雉元(650)年、法道仙人が金銅の聖観音を携えて渡来し、堂宇を建てたのが創建とされる。
 三重塔(さんじゅうのとう)は、平安時代の承安元(1171)年の建築とされ、各重とも方三間で、各重の落ちは上重ほど大きく、軒高の差と軒出は上重ほど小さく、古塔の姿をよくとどめており、国宝に指定されている。
 高さは21.8mあり、本瓦葺で高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも蟇股で、水煙は唐草文様になっている。
 一乗寺の三重塔は、古代から中世への移行期の技法のあり方をうかがい知る事が出来る、長い歴史を誇る建築物である。
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2008/6/20


御着城 Gochaku-jou 

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 御着城(ごちゃくじょう)は、兵庫県姫路市役所東支所の敷地内にあり、敷地内に城址公園として石碑が建てられている。
 茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣であった小寺政隆が永承一六(1519)年に築城した。別所氏の三木城、三木氏の英賀城と共に播磨三名城といわれていた。
 以後三代六〇余年続いたが、天正七(1579)年、豊臣秀吉の三木城攻めに際し、別所長治に味方したため攻撃を受け落城した。
 現在の御着城は、本丸中央を国道二号線が貫いており、周囲も宅地化している。支所の建物は城郭風になっており、その裏には空掘跡に天川橋が架けられている。
 昭和五二(1977)年からの発掘調査で、御着城が一四世紀後半から一六世紀後半まで存続し、一六世紀半ばには大型や中型の堀や土塁が築かれ、本格的な縄張りが行われていた事が判明した。
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2008/5/22


明石城(喜春城) Akashi-jou(Kiharu-jou) 

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 兵庫県明石市の「明石城(あかしじょう)」は、明石藩主となった小笠原忠真が、元和三(1617)年に幕府の援助と岳父にあたる播磨姫路城主の本多忠政の協力により築城した。
 譜代大名の居城としてふさわしい城郭を建設する様、ニ代将軍徳川秀忠の命により、伏見城や三木城、船上城の遺材が使用され着工し、ニ年後の元和五(1619)年におおむね完成した。寛永九(1632)年、忠真は肥後熊本の加藤家改易に伴う細川家の移動で、外様大名から幕府を守る為の橋頭堡(きょうとうほ)として豊前小倉へ移る。その後、松平(戸田)、大久保、松平(藤井)、本多と城主は変わる。天和ニ(1682)年、松平(越前)直明が越前大野から六万石で入封し、松平(越前)家が十代続き明治を迎える。
 巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)が国指定の重要文化財になっており、中堀の内側は明石公園として整備され、さくらの名所としても知られている。
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2008/1/17


龍野城 Tatsuno-jou 

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 兵庫県たつの市の「龍野城(たつのじょう)」は、明応八(1499)年に西播磨の豪族・赤松村秀によって鶏籠山の山頂に築かれた。政秀、広貞、広秀と四代続いたが、天正五(1577)年に織田信長の命による播州征伐で羽柴秀吉の軍門に降り開城、替わって石川光元や蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)が城番として置かれた。
 一時期、姫路城に入城した池田輝政により支城として整備され、その後も本多、小笠原、岡部、京極と城主が替わっていった。万治元(1658)年に京極高知による讃岐丸亀への移転で廃城となり、一四年間は天領となった。
 寛文一二(1672)年、信州飯田から脇坂安政が五万一千石で入封すると、山麓に平山城として陣屋形式のものが築かれ、泰平の世も手伝い現在に至っている。本丸御殿は昭和五四(1979)年に再建されたものである。
 城下町は「播磨の小京都」と称され、武家屋敷の雰囲気は往事を思わせる。
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2007/11/8


播州そろばん Bansyuu-soroban 

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 兵庫県の播磨平野に位置する小野市は、播州そろばん(ばんしゅうそろばん)の産地として知られ、全国生産の七〇パーセントを占めるそろばんの町である。昭和五一(1976)年、国の伝統的工芸品に指定された。
 このそろばんの特徴は「すわり」「さえ」「気品」にあるといわれる。珠の動きに安定感があり、動きやすく止まりやすい「すわり」、珠を払うときに出る澄んだ「さえ」と呼ばれる音色、そして入念な細工と正確な組み立てによる優美な存在感が「気品」として表われている。
 珠は、別名斧折(おのおれ)とも呼ばれる堅い樺(かば)を用いてつくられるが、価値の高いものとなると、柘植(つげ)や黒檀(こくたん)などが用いられる。
 良質な木や竹をつかい、熟練された職人によって伝統ある技術品をつくりだす播州そろばんは、単なる計算道具というだけではなく、手や指先を使いながら心を和ませる作品として幅広く愛用されている。
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2007/7/24


魚吹八幡神社 提灯祭り Usuki-hatiman-jinja Cyouchin-matsuri The Chochin Lantern Festival at Usuki Hachiman Shrine

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 兵庫県姫路市にある魚吹八幡(うすきはちまん)神社の秋祭りは、播磨地方でも最大規模の壮大な祭り。通称「提灯祭り」と呼ばれ、呼び物は宵宮の提灯行列と桜門前で繰り広げられる、宮入前の提灯練りである。
 2日間の祭りの初日、各地区から集まった練り子たちが、宮を目指して提灯を掲げながら参道をゆるやかに進み、桜門に差し掛かったところで一転、提灯を掲げた青竹を激しく叩き合わせる。竹がカンカンと打ち鳴らされる音、火を吹いて焼け落ちる提灯、練り子の威勢のよい掛け声に、どよめく観衆。提灯はぶつけ合うことで宮入りする頃には竹だけになるという。
 翌日の本宮では、18台の屋台や壇尻(だんじり)などが繰り出され、「チョーサ!」の掛け声で屋台を高々と差し上げる屋台練り、獅子舞など多彩な奉納芸が行われる。
 提灯祭りは、練り子たちの勇壮で迫力あるパフォーマンスが堪能できる祭りである。
 
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