NIPPON Kichi - 日本吉

記事数51件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/9/29


青島盆踊り Aoshima-bon-odori 

Jp

 愛媛県大洲市の青島盆踊り(あおしまぼんおどり)は、毎年八月一三・一四日に開催される大掛かりで華やかな伝統行事である。
 一三日には魚を供養する賑やかな踊りの大漁踊りが、一四日には死者の霊を慰めるため、赤穂四十七士の亡者踊りが披露される。討ち入りの衣装や、鎧兜などを身につけ舞う亡者踊りは哀愁を帯びた印象である。
 青島は一七世紀までは無人島であったが、島原の乱により頻繁に船が往来しはじめ、播磨(はりま)の漁師が立ち寄ったことをきっかけに、播州(ばんしゅう)からの移住者が増えた。それが青島の盆踊りが赤穂四十七士にまつわる由来とされる。現在は県指定の無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/8/8


長崎 ヘトマト Nagasaki Hetomato 

Jp

 長崎のヘトマトは、長崎県五島市下崎山にて毎年一月一六日に行われている祭りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 起源と語源はまったく不明の奇祭で、600年ほど前から伝わるといわれ、五穀豊穣・大漁・子孫繁栄・無病息災を祈願する。
 祭り当日は、まず地元の白浜神社で子供や青年が参加する奉納相撲が行われ、次いで鉦を打ち鳴らしながら白浜の海岸に向かう。
 続いて、着飾った新婦二人が酒樽の上で羽根つきをして、次に体にススを塗り付けた若者が藁玉を激しく奪い合う玉蹴り、豊作と大漁を占う綱引きと続いて最後に大草履が登場し、見物の娘を次々と捕えて草履の上に乗せ激しく胴上げを行いつつ山城神社へ奉納する。
 長崎のヘトマトは、地域で行う諸々の行事を一度に行う祭りとしては、全国的に他に類を見ない奇祭である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/15


角館のお祭り Kakunodate-no-omatsuri Festival of Kakunodate

Jp En

 角館のお祭り(かくのだてのおまつり)は、秋田県仙北市角館地区に伝わる、三〇〇年以上の歴史がある祭りである。旧角館町の鎮守である神明社と成就院薬師堂の祭で、地域の繁栄や商売繁盛などを願い毎年九月の三日間にわたって行われる。
 この祭りの見所は何と言っても、曳山(ひきやま)である。
 各町内の武者人形や歌舞伎人形を載せた一八台の曳山は、初日には神明社へ、翌日は武家屋敷通りを通って上覧のために佐竹北家当主へ、最終日には薬師堂へと賑やかな笛や太鼓のお囃子と共に曳き廻される。
 祭りが特に盛り上がるのは、曳山がぶつかる「やまぶっつけ」の時。町内で、山車どうしがかち合った際、通行権を巡って交渉するのだが、交渉が決裂した場合は、山車をぶつけ合う。狭い道幅いっぱいにあふれた観客の熱気に包まれ、さらに盛り上がる。
 優雅だが激しい、角館のお祭りは平成三(1991)年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/6


八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

Jp

 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/6


大日堂舞楽 Dainichidou-bugaku 

Jp

 大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)に奉納されている古典舞楽である。
 神社では、毎年正月二日に行う祭典にて大日堂舞楽を奉納しており、舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 大日霊貴神社は、継体天皇(507~531)が建立したのが始まりとされている。
 その後、元正天皇が養老二(718)年に再建し、その時に大日堂舞楽を伝えたと言われる。
 当日は能人と呼ばれる氏子の中から35人が選ばれ舞楽を奉納し、周辺の4集落に分かれてそれぞれの集落内で舞台元の舞をする。その後、各所で権現舞を舞いながら大日堂に一同集まり、挨拶の後、堂の中で舞い始める。
 大日堂舞楽は、わが国に現存する舞楽の中でも、最も古い形が伝えられる伝統芸能である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/29


十五夜火とぼし Juugoya-hi-toboshi 

Jp

 十五夜は毎年旧暦の八月一五日、現代でいうと毎年九月から一〇月の初旬頃にあたる。すすきやお団子をお供えして縁側で中秋の名月を眺める静かな印象だが、地域によっては大変賑やかな風習が残る。
 鹿児島県南さつま市には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。準備段階にあたる十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、茅引き、綱ねりなどもすべて行事のひとつであり、集落ごとに少しずつ異なっている。
 坊津町の上ノ坊には十五夜火とぼし(じゅうごやひとぼし)と呼ばれる風習がある。
 綱の材料の100キロほどの茅(かや)を山から持って降りる際に、たいまつをたいて村人に知らせるものだ。
 山の中盤付近で、青年たちが番茅と呼ばれる太く束ねた茅の松明を、火の粉を散らしながらぐるぐる回す。番茅はおよそ一七本ほど。その後口説き歌を歌いながら手分けしてふもとまで運びきる。
 この十五夜火とぼしは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/18


宇和津彦神社 秋祭り Uwatsuhiko-jinja Aki-matsuri 

Jp

 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は、延暦一一(792)年創建の古社で、一宮神社とも呼ばれ、藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬が厚かった。
 ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)と景行天皇の子である宇和津彦命(うわつひこのみこと)である。
 この神社で一〇月二九日に行われる秋祭りは、伊達氏とともに東北から伝えられたという八ツ鹿踊りが奉納される。この踊りは市の無形民俗文化財に指定されている。
 鹿の頭をつけ、紅染の布を上半身に纏った雄鹿七頭・雌鹿一頭を八人の少年たちが演じる。胸につけた太鼓を叩き、歌いながら舞う八ツ鹿踊り奉納後、いよいよ神輿の先駆けに牛鬼が登場する。
 牛鬼とは、深紅の布で全身を覆った体に鬼面を付け、胴の長さが6mもある怪物の事で、悪霊払いをしながら町を練り歩く。気に入らない家ではわざと暴れたり、牛鬼同士で争ったりする。悪霊払いの意味をもつ牛鬼は、宇和島を中心とする南予地方独特のものである。
 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/30


登米新緑薪能 Toyoma-shinryoku-takigi-nou Toyoma Shinryoku Takigi-Noh

Jp En

 毎年六月中旬、宮城県登米町の伝統芸能伝承館森舞台で、二三〇年の歴史を持つ登米薪能(とよまたきぎのう)が上演される。
 午後五時頃に火入りの儀が行われると、白砂の上にかがり火に囲まれた舞台が現れ、朗々とした格調高い演目がおよそ三時間上演される。薪の燃える音や香りが心地よく、日常生活とかけ離れた美しさに観客は魅了される。
 登米薪能は伊達政宗が能を愛したことから、伊達一門である登米伊達家も能楽を公の儀式の際の式楽として取り入れたことにはじまった。その後武士の作法として伝承され、明治以降は地域住民に浸透し守られていく。登米薪能を現在まで伝承している登米謡曲会は明治四一(1908)年に発足、プロの域にまで届く高いレベルで伝統を守り続けている。
 宮城県無形民俗文化財に指定されており、今でも広く愛され続ける人気の薪能だ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数51件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter