NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/22


金沢城 菱櫓 Kanazawajyo Hishiyagura Kanazawa Castle Hishi Turret

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 かつて菱櫓は、金沢城の大手と搦手(からめて)、つまり裏門を見張る櫓であった。
 櫓とは矢の倉ともいわれ、武器倉庫であることが多いが、菱櫓は見張りの役割を担っていた。
 高さ一一.七メートルの石垣の上に建てられた菱櫓。それ自体は三階建てで約十七メートルあり、併せて三〇メートル近い威容となる。
 菱櫓の名前の由来となったのは、建物の平面の形である。
 菱形になっており、四隅の内角は八〇度と一〇〇度。柱はおおよそ一〇〇本あるが、それらも全て菱形になっており、建設には高度な技術を要する。
 この菱櫓と橋爪門続櫓をつなぐのが、五十間長屋である。
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2006/12/15


三内丸山遺跡 Sannai-maruyama-iseki Sannai Maruyama Historical Site

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 青森市にある日本最大級の縄文集落跡。その存在は江戸時代より知られており、昭和になって行われた本格的な発掘調査によって、今から約5500年前から4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていたことがわかった。集落跡からは、竪穴住居跡、大型竪穴住跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかっている。発掘幾度かの調査によって、縄文時代の自然環境や生活、村の様子などが具体的にわかってきた。
 2000年には、「遺跡の国宝」と言うべき特別史跡に指定。遺跡は通年で公開され、自由に見学することができる。
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茶道 Sadou Sadou (Tea Ceremony)

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 平安時代に中国より伝わった茶は、次第に嗜好品として定着。やがてにぎやかな宴会の中で楽しむ茶の湯に対して、簡素な日本の工芸品を使い、精神性を重んじる茶の湯が登場。
 それが「わび茶」すなわち「茶道」の成立であった。安土桃山時代に千利休が遊びの要素をできる限り退け、客人との心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯を大成。利休が目指した茶の道は、風情の中に美的な境地や心の満足を探究しようとする精神といえよう。
 「日本の美術工芸の粋は、茶道にすべて内包される」といわれるように、茶道は茶道具や茶室建築、俳諧など広い分野にまたがる総合芸術。「もてなし」と「しつらい」の美学、閑寂や枯淡の境地など、茶道が日本の精神文化に与えた影響ははかりしれない。
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