NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/14


福島 まさる Fukusima Masaru Fukushima Masaru

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 「まさる」は、福島地方の正月にかかせない縁起物の玩具である。
 竹弓の弓幹(ゆがら)に「福」と書かれた旗、そして弦にはウサギの白い毛がちょこんとついた素焼きの土鈴がついている。この土鈴を弦の上あげて、手を離すと「カラコロ」と素朴な可愛らしい音をたてて、ヒョコヒョコと降りてくる。
 これを神棚に奉ると商売繁盛、五穀豊穣に恵まれると言われ、年末年始には福島県内の各地の露天で「去年にまさる、福まさる、買わんしょ、買わんしょ」というお囃子が聞こえてくる。「まさる」という名は、去年に「勝る」・福「勝る」、または「魔去る」、そしてうさぎの毛は「儲け」に由来するといわれる。
 年末年始の福島稲荷神社の歳の市、旧正月の黒岩虚空蔵尊満願寺の十三参りと信夫山羽黒山神社の暁詣りなど、新年の幸を求めて沢山の人が買い求め、カランコロンと素朴で心地よい土鈴の音が響く。
 
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2008/7/1


唐桑 弾き猿 karakuwa Hikisaru 

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 唐桑の弾き猿(からくわのひきさる)は、宮城県気仙沼市唐桑町にある日高神社の祭礼にて売られる玩具である。
 日高神社は唐桑半島の突端にあり、別名・御崎神社(おさきじんじゃ)とも言う。地元では、航海・縁結びの神「おさきさん」として親しまれている。
 神社で行われる旧正月一四、一五日の祭礼には、岩手県南の大船渡や陸前高田方面の漁師たちも参拝に来て賑わう。
 この時、さっぱ舟・風車などと共に縁起物「唐桑の諸玩具」として売られるのが、弾き猿である。
 弾き猿は、昔は全国各地で見られた素朴な玩具で、下の竹のバネを弾くと、猿が弾かれて上下し、「年の始めに悪しきを弾き去る」と言う意味がある。
 唐桑の弾き猿は、「災いを去る」縁起物の郷土玩具である。
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2008/6/27


魚魚あわせ Toto-awase Toto-Awase (Fish Card Memory Game)

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 魚魚あわせ(ととあわせ)は、日本人に馴染みの深い魚を地域別に集め、魚偏の漢字と色とりどりの千代紙・色紙の切り絵を使って生まれたユニークな絵あわせカルタ。企画・製作は、京都府宮津市の「丹後魚っ知館(うおっちかん)」の魚魚(とと)工房。
 2003年春の発売以降、絵柄の美しさと魚の種類や漢字の勉強になることからファミリー層を中心に人気を集め、販売合計個数は十万個を突破。2005年にグッドデザイン賞、2006年にグッド・トイ賞を受賞。現在、地方別に一一種類が販売されている。朱色や群青色など日本の伝統色を用いた箱、千代紙の繊細な模様を取り込んだカルタは、和のテイストに貫かれており、札には魚のミニ知識が添えられている。英語版の「Sushi Bar」は、海外へのお土産として好評。
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2008/4/25


倉敷はりこ Kurashiki-hariko 

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 倉敷はりこ(くらしきはりこ)は、岡山県倉敷市に伝わる民芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 明治二(1869)年、雛人形や武者人形を作っていた職人である生水多十郎(おみずたじゅうろう)が、男の子の誕生を喜び張り子の虎を創作した。それが評判となり、節句の飾り物として使われるようになったという。これが、「倉敷はりこ」の始まりとされている。現在は、4代目の生水幹一(おみずかんいち)が、その伝統を守っている。
 はりこは、木の型を作り、それに和紙を何枚も張り合わせて乾燥させ、固まった紙を型から外して色付けされているのが特徴。
 素朴さが身上で、おどけたユーモラスな顔がかわいい。品物も、鬼・天狗・おかめ・ひょっとこ・素隠居(すいんきょ)の面・首振虎・十二支など、豊富な種類を誇る。
 倉敷はりこは、素朴さの中に郷土色が息づく伝統玩具である。
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2008/4/14


からくり人形 Karakuri-ningyou Karakuri Doll

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 からくり人形(からくりにんぎょう)とは、伝統的な機械仕掛けの人形の事である。
 からくりは10世紀頃の中国に見られ、日本に渡ってきたのは室町時代の事といわれている。
 江戸時代に入ってからは、時計などに使われていた歯車などの技術を人形の動作装置として応用し、からくり人形が作られ始めた。
 当初は上流階級の玩具であったが、次第に見世物として人気を呼ぶようになり日本各地に普及した。
 寛文二(1662)年には竹田近江がからくり芝居の興行をしており、享保年間(1716~1735)にはからくり門弥がからくりを駆使した乗り物を作っている。
 幕末には「からくり儀右衛門」こと田中久重が、江戸からくりの最高傑作と言われている「弓曳き童子」を製作した。
 からくり人形は、現代の人型ロボットの原点とも言える、日本の伝統的な精密機械である。
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2008/4/4


山形 いずめこ人形 Yamagata Izumeko-ningyou 

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 山形のいずめこ人形(いずめこにんぎょう)は、山形県鶴岡市に伝わる伝統民芸品である。
 「いずめ」とは「飯詰」の字があてられる、東北地方の冬期のご飯の保温具で、わらで編んだ丸いかごの事であり、それを利用して乳児をこの中に入れ、揺りかご代わりにしたその姿を「いずめこ」と呼んだという。
 大正初期に鶴岡の玩具工人・大滝武寛が、中に人形を入れた「いずめこ人形」として売り出したのが最初と云われており、現代では、庄内を代表する民芸品となっている。
 わら細工は、編んではわらを継ぎ足すという同じ作業の繰り返しで、実に細かく根気のいる作業であり、直径約30cmのいずめこが完成するのに要する時間はおよそ12時間と言われている。
 山形のいずめこ人形は、人々に親しまれている民芸品である。
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2008/3/10


イタヤ細工 Itaya-zaiku 

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 イタヤ細工は、寛政年間(1790年頃)に角館の農村部で始まった手仕事で、生活の中から生まれた。イタヤカエデの若木の幹を帯状に裂いて編み、穀物の殻などを振って吹き飛ばす箕(み)や、カッコベと呼ばれる腰かごなどの農具を中心に作られてきた。
 現在はかご類、花器、バッグ、イタヤ馬、イタヤ狐などの民芸品が多く作られ、秋田県の伝統的工芸品に指定されている。
 細工は、原木から細い帯状の材料を得る工程と、その材料を編む工程とに分けられるが、そのほとんどが手作業で行われる。イタヤカエデの持つ木肌の素朴さと相まって、その深い味わいに人気がある。
 イタヤ馬とイタヤ狐は郷土玩具として注目されている。イタヤ馬は、馬が走っている姿をモチーフにしたもので、頭を左に向けた縁起の良い「左馬」という形に編まれる。一方のイタヤ狐は、原木をナイフ一本でキツネの立ち姿に加工したもので、イタヤカエデの幹の白さと繊維の緻密さがよく分かる。
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八橋人形 Yabase-ningyou 

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 八橋人形(やばせにんぎょう)は素朴な土人形で、江戸時代後期に京都伏見の人形師が秋田市八橋に伝えたとされる。その昔、町内にある天神様を祀る菅原神社の縁日で売られ、境内には人形屋が軒を連ねたという。
 男の子が生まれると天神人形、女の子が生まれると雛人形を求め、家に飾って子供たちの成長を願った。ずっしりとした土の量感と、決して派手ではない彩色が特徴的だ。
 現在、伝統工芸八橋人形を製作するのは、道川土人形店の一軒しかない。ずっと後継者不足に悩まされてきたが、なんとか後継者が決まり、店主はほっと胸をなでおろしている。
 先々代が作った合わせ型に粘土を詰め乾燥させて焼く作業は夏場に、絵付け作業は冬場に行う。絵付けに一番神経を使うのは目を入れる瞬間で、一瞬呼吸を止めて精神を集中させる必要があるという。
 丹念に絵付けされた手作りの土人形のぬくもりが、全国の愛好家の心を癒しているに違いない。
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