NIPPON Kichi - 日本吉

2008/1/24

高田焼 Kouda-yaki 

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 高田焼(こうだやき)は別名・八代焼(やつしろやき)とも呼ばれ、熊本県八代市に四〇〇年以上伝わる焼物である。
 陶工・尊楷(そんかい)は、豊臣秀吉が朝鮮出兵した折に連れてきた、数多くの優れた技術者のひとりである。一度本国へ戻り、高麗焼の技法を身につけた尊楷は、慶長七(1602)年、現在の福岡県北九州市にあたる豊前小倉の藩主・細川忠興に招かれ、上野(あがの)の窯を築いたと言われている。
 その後、細川藩の肥後転封に伴って、尊楷は息子達と共に八代郡高田郷奈良木村に窯を開き、それが後に高田焼と呼ばれるようになったという。
 素地が完全に乾く前に模様を彫り込み、そこに白土を埋め込む。そして余分な土を削り落とした後に透明な釉薬をかける、白土象嵌(ぞうがん)と呼ばれる特殊な技法が特徴的である。
 高麗の伝統を日本の今に伝える、美しく貴重な焼物である。

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住所
866-0000 熊本県八代市
名前
高田焼




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