NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/8


長等山園城寺(三井寺) Nagara-san-onjou-ji(Mii-dera) 

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 天台寺門宗の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)という。また、湖国近江の名勝・近江八景の一つ「三井の晩鐘」としても知られる。
 朱鳥元(686)年、天武天皇(てんぶてんのう)により建立されたという。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂(さんぶかんじょう)の法水に、用いられたことに由来していると伝えられる。
 現在も、金堂西わきに閼伽井屋(あかいや)があり、三井の霊泉として崇められており、それを取り囲むように蓬莱の石積みがある。また、閼伽井屋は慶長五(1600)年に、建立されたものとされ、重要文化財に指定されている。
 ここは、大友皇子(おおとものみこ)の家居の跡とされ、現存する日本庭園の最古の遺跡と伝えられている。
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2007/10/22


日牟禮八幡宮 Himure-hachiman-guu Himure Hachimangu Shrine

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 滋賀県近江八幡市宮内町にある由緒ある神社。
 第一三代成務天皇が高穴穂宮で即位した時に、武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて造らせたと伝えられている。 
 日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の名は、第一五代応神天皇が近江に出向かれた際、ここに御座所が設けられ、この場所から日輪の輪が二つ見えるとのことから、後に祠を建て「日群之社八幡宮(ひむれのやしろはちまんぐう)」と名付けられた。その後、持統天皇の時に藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟礼社と改められた。また、日牟礼とは、古代豪族の和珥氏(わにうじ)の祖である日觸使主の日觸(ひむれ)の転とする説がある。
 日牟禮八幡宮は、武神として崇敬され、蒙古襲来時の朝廷からの奉幣や、足利氏、徳川氏をはじめ戦国時代の名だたる武将たちも参拝し、関が原の戦の後には、家康も参詣している。
 昭和四一(1966)年日牟礼八幡宮と改称。
 神庫には数多くの重要文化財が保管されている。
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2007/3/6


天武・持統天皇陵 Tenmu・Jitou-tennou-ryou 

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 天武・持統天皇陵は奈良県高市郡明日香村にある陵墓、正式な陵墓名は桧隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)。天武天皇、持統天皇の合葬陵墓である。
 直径50メートル、高さ6・4メートル、高さ9メートルの八角墳で、周囲に石壇が築かれている。
 鎌倉時代に残された「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」により被葬者が判明している数少ない天皇陵。石室は大理石、朱漆の柩と金銅の容器が安置されていると記録されている。
 律令国家建設を推し進めた天武天皇と、それを引き継いだ持統天皇は、波乱に満ちた人生を終え、夫婦揃って静かに緑の陵で眠りについている。
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2007/2/12


奥殿陣屋 Okudono-jinya 

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 愛知県岡崎市にある、歴史的建造物。
 その歴史は、松平真次が2代将軍秀忠の家来として大阪夏の陣で功績をあげ、大番頭となったのち、三河の地で、子孫である4代乗真が奥殿藩の拠点に陣屋を作ったのが創建である。場内には書院、金鳳亭、蓬莱の庭など、たくさんの歴史建造物が見られる。
 持統天皇が命名されたと伝えられる村積山の麓、徳川氏の発祥地松平郷に程近く、1万6千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化を今に残している。
 現在は自然公園になっており、花園苑には春の山桜をはじめ、ユキヤナギ、スイセンからバラ・花菖蒲・あじさい・ユリ・はぎ・もみじ・つばきなど四季折々に美しく咲きほこる花の姿を見ることができる。
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2007/1/30


薬師寺(世界遺産) Yakushi-ji Yakushi-ji Temple

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 奈良県西ノ京町にある「薬師寺」は「興福寺」と並んで「法相宗」の大本山。南都七大寺のひとつに数えられる。平成十(1998)年には世界文化遺産に登録された。
 飛鳥時代の天武天皇九(680)年、天武天皇が莵野讃良皇后(うののさららひめみこ‐後の持統天皇)の病気が治ることを祈願して創建された。創建当時は藤原京に建てられたが、養老二(718)年、平城京遷都にともない現在の場所に移転。
 しかし、度重なる兵火と天災により、当時の建物で現存するのは東塔のみ。金堂や西塔、中門、回廊などは昭和以降に復興され、往時の華やかな姿を偲ばせている。
 薬師寺の伽藍は中央に金堂を配し、金堂の手前東西に塔を、金堂の背後に講堂を、またそれらを取り囲むように回廊を配している。その独特のスタイルから「薬師寺式伽藍」と呼ばれている。
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