NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/11


冨士山 Tomisu-yama 

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 冨士山(とみすやま)は、愛媛県大洲市菅田町、大洲盆地中央にそびえる標高320mの山である。
 その姿が富士山に似ている所から冨士山と呼ばれており、頂上からは大洲盆地、四方の山々、そして蛇行する肱川の流れを一望できる、素晴らしい眺望を誇る。山頂付近は公園として整備され、展望台、東屋、ちびっこ広場、キャンプ場などがある。
 8合目から山頂にかけては、春になると例年6万3000本のツツジが一帯をピンク色に染める、広大なツツジ公園になっている。この公園は西日本一とも言われており、毎年4月下旬~5月にかけて、ツツジまつりが開催され、約5万人の観光客が訪れる。
 また、約3000本の吉野桜も植えられており、3月下旬~4月上旬まで、観光さくらまつりも開催されている。
 冨士山は、美しい眺望とツツジ、桜で知られる山である。
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2008/7/25


京都 保津川下り Kyouto Hozugawa-kudari Boat Ride down the Hozu-gawa River, Kyoto

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 京都の保津川下り(ほづがわくだり)は、京都府亀岡市保津町~京都市嵐山まで約16kmの渓流を、約2時間で下る舟下りである。
 川下りというのは、長岡京に都があった頃(784~794)から、保津川の水流を利用して下流にある京都・大阪に物資を輸送する事にはじまった言葉で、いわゆる水運の事である。
 慶長一一(1606)年、角倉了以(すみのくらりょうい)が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いた。これが、保津川下りの起源とされている。
 今では、日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも良く知られている。
 曲がりくねった狭い川筋は、激流岩を生んで、かいの音が木霊し、谷間ではウグイスが鳴き、夏はかじかの涼やかな合唱が聞こえる。
 保津川下りは、桜、岩つつじ、新禄、紅葉、雪景色など四季折々の景観も魅力的な舟下りである。
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2008/5/20


隈府城(菊池城) Waifu-jou(Kikuchi-jou) 

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 隈府城(わいふじょう)は熊本県菊池市にあった城である。
 正平年間(1346~1369年)、南北朝時代に九州で南朝の中心的存在であった菊地氏が築城したものである。そのため、菊池城ともいわれている。後に菊地家の家老であった隈部親永(くまべちかなが)が城主となった。羽柴秀吉が九州を平定してから、隈部親永は佐々成政(ささなりまさ)の配下となったが、検地に反抗し一揆を企てたため、佐々成政に攻めこまれ城は落城、隈府城は廃城となった。
 現在は、空堀や土塁を残すだけで、本丸跡には明治時代に菊地氏を祀る菊地神社が建立されている。
 境内には資料館が設けられ、この地の歴史を知ることが出来る。また、記念碑も設けられ、広場には菊地武光公の像も建てられている。地元では桜やツツジの名所としても有名な場所である。
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2008/2/27


石巻城址 Ishinomaki-joushi 

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 石巻城址(いしのまきじょうし)は、宮城県石巻市日和が丘にある城跡である。
 旧北上川河口西岸にそびえる日和山を利用した大規模な山城で、別名・日和山とも呼ばれる。
 文治五(1189)年の奥州合戦の恩賞として、源頼朝の家人・葛西清重(かさいきよしげ)は、牡鹿郡(おしかぐん)ほか数か所の所領を給付された。
 石巻城は鎌倉初期に葛西清重が築造したと伝えられるが、葛西氏の第4代、清経以降に築かれたとも言われ、詳細は定かではない。
 以後、天正一八(1590)年に豊臣秀吉によって滅されるまで約400年の間、石巻の日和山は、葛西氏の居城があったところという伝承が残っている。
 現在、日和山公園として整備され、一部が鹿島神社になっており、桜・ツツジの名所として知られる。
 石巻城址は、石巻の象徴とも言える古代城跡である。
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2007/12/11


青梅 愛宕神社 Oume Atago-jinja 

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 青梅市柚木町ある愛宕神社(あたごじんじゃ)は、標高五八四メートルの愛宕山にある。多摩川の上流域にあたる奥多摩を支配していた三田氏の居城、辛垣城(からかいじょう)の鎮護のために創建された神社である。
 三田氏はもともと青梅の勝沼城が本城だったが、北条氏が滝山城に進出したとき辛垣城に退いている。のちに北条氏に攻められ、三田氏は永禄六(1563)年に滅んでしまう。
 境内には桜とつつじが植えられており、花の名所として知られている。境内の長い石段の両側には、四月中旬頃から朱色の山つつじが咲き乱れ、別名「つつじが丘」とも呼ばれ親しまれている。石段を昇ると社殿があり、青梅市内を見渡すことができる。
 また、奥宮にあたる本社は愛宕山の頂上にあり、ご神体は勝軍地蔵である。火難除けの信仰が厚く、江戸時代には社領二〇石を付与された。
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2007/11/5


五色台 Goshiki-dai Goshiki-dai Plateau

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 五色台(ごしきだい)は香川県の高松市と坂出市にまたがる、五つの山々が連なる溶岩台地である。
 五つの山々の土の色はすこしづつ異なっている。そのため、仏教の色の配置と同じように黒峰、青峰、白峰、黄峰、赤峰と名づけられ、この名がつけられている。
 山間にはスカイラインが設けられ、瀬戸内海の雄大な風景や岡山県の山並みなどを満喫することができる。また、春の野鳥やツツジ、秋の紅葉やみかん狩りなど、四季折々の自然を堪能でき、さらに、付近には遊歩道、芝生広場、キャンプ場なども完備され、香川自然科学館や瀬戸内海歴史民族資料館を見学することもできる。
 西側に位置する白峰は「保元の乱」に敗れ、この地に流された崇徳上皇が荼毘(だび)にふされた場所とされ、上皇ゆかりの史跡が今でも多く残されている。
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