NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/10


神威岳 Kamui-dake 

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 北海道札幌市街からも見ることの出来る神威岳(かむいだけ)は、頂に冠を抱いたような大きな岩塊が突き出ており、その特異な山容からも良く知られている山だ。
 標高は983m。北海道百名山にも入っており、その名はアイヌ語で「神の山」という意味を持ち、同名の山が日高山系にもある。
 標高自体は1000mを切ってはいるものの、頂上までの行程は距離もあり、特に山頂部の突き出た部分の踏破は、もう一つ小さな山を登るような感覚に近いものがある。
 それでも十二分に楽しめる山であり、シーズンであれば様々な花たちが頂を目指して頑張る登山者たちを癒してくれる。その頂上部分が、まるで西部劇に出てくる砦のような面持であることもあってか、あまりイメージされにくいようだが、この山は以外にも花の豊かな山なのである。
 もちろん、頂上からの眺めもすばらしく、山頂部に聳えるその神の冠を制覇すれば、ご褒美の絶景が待っている。
 神様の粋な計らいに感謝しつつ楽しむ絶景は、格別だ。
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2007/6/26


神威古潭 Kamui-kotan 

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 神威古潭(かむいこたん)は、北海道旭川市にある地区の名称である。
 神威古潭は、石狩川が上川盆地を抜けて石狩平野へと流れていく途中の渓谷にあり、川の流れは細く急である。明治以前、水上交通に依存していたアイヌにとっては最大の難所であった。この地名はアイヌ語の「カムイコタン」(神の住む場所)の音訳であり、無事な通過を祈ることから由来すると言われている。
 明治期に函館本線が開通、神威古潭駅も設置され、これで交通の難は解消されることになる。1960年代まで基幹線として使用されていたが、現在は廃線となっている。旧線跡がサイクリングロードとなって駅舎も復元され、風情ある休憩所として利用されているという。駅舎はアーチ部分がキーストン付きレンガ巻き、側壁は切石積、抗門は鳥居型の凝った造りで、格好の撮影ポイントである。
 神威古潭は、紅葉の名所でもあり、毎年秋分の日に行われる「こたんまつり」には大勢の観光客で賑う。
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2007/6/4


積丹 島武意海岸 Shakotan Shimamui-kaigan Shimamui Coast

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 積丹の島武意海岸(しまむいかいがん)は、北海道積丹郡積丹町に広がる海岸である。海中公園に指定されており、日本の渚百選にも選ばれている。
 積丹半島の最北に位置し、展望台からは、神威岬へ続くダイナミックな海岸線と、積丹岳などが眺望できる。
 海岸は、透明度が高く神秘的な美しさをたたえており、透き通る海からは岩盤がのぞき、ビョウブ岩のある入り江に波が寄せるさまは、いつまでも人を惹きつけて放さない絶景である。
 歩行者用のトンネルを抜けると、突然目の前いっぱいに真っ青な海が広がるシーンは感動的であり、道随一の美しさと言われている。
 初夏には断崖が、積丹の町花・エゾカンゾウで彩られる。
 島武意海岸は、全長1kmにも及ぶ名勝地である。
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2007/5/24


積丹半島 神威岬 Shakotan-hantou Kamui-misaki 

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 神威岬(かむいみさき)は、北海道に位置する岬で、積丹半島北西部から日本海に突き出す形になっている「ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属する。
 大海原へとダイナミックにせり出した神威岬の先端までは、駐車場から「チャレンカの小路」を歩く。この遊歩道の両岸には様々な海鳥たちが生息し、時にはハヤブサの姿が見られることも。冬には北の海からトドやアザラシ、オオワシなどがやってくる。岬の先端に辿り着いたとき、切り立った断崖と、積丹ブルーと形容される海岸美が眼前に広がる。海のはるか向こうには積丹岬が望め、海には「水無の立て岩」「カムイ岩」が浮かぶ。カムイ岩は神威岬のシンボルで、夏にはハヤブサ、冬にオオワシが止まることもあるという。このカムイ岩は、澄み切った海中に立ち尽くす乙女の化身だという伝説も残る。
 神威岬は、自然の動植物の宝庫。次世代に残したい北海道の宝物だ。
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2007/2/27


大和神社 Ooyamato-jinja Oyamato Shrine

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 大和神社(おおやまとじんじゃ)は奈良県天理市に位置する神社。旧称を朝和之宮。
 崇神天皇の御世に、宮中に天照大神と共に祀られていた大国魂大神の神威を恐れ、皇女の渟名城入姫(ぬなきいりひめ)に市磯邑に遷して祀らせたのが始まりとする。後に市磯長尾市(いちしながおおいち)を祭主として創建された。
 平安初期には大いに栄え、伊勢神宮に次ぐ社領を得ていたが、平安京への遷都などで衰微した。
 同名の縁から戦艦大和に分霊をしており、境内に慰霊の碑が建つ。
 例祭である4月の「ちゃんちゃん祭」は古式の装束に身を包んだ行列が、神輿と共に鉦鼓を鳴らして練り歩くもので、春を告げる祭りとして近隣の人に親しまれている。
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