NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


高鍋城灯籠まつり Takanabe-jo-tourou-matsuri Takanabe Castle Lantern Festival

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 高鍋城灯籠(たかなべじょうとうろう)まつりは宮崎県児湯郡高鍋町で行われる、町をあげてのまつりである。
 三代藩主・秋月種信(あきづきたねのぶ)が開いた藩校「明倫堂」の教えである「人の道を広く育む」をテーマとし、毎年一〇月一五日をメインに舞鶴公園とその周辺で開催される。
 町中では、会場を中心にいたるところで石灯籠や竹灯籠などが設けられ、一五〇〇基あまりの灯篭に明かりがいっせいに灯され、城下町を幻想的に彩る。中には小中学生が描いた絵を紙灯篭にするなど、ユニークなものも見られ、町と住民が一体になったまつりである。
 同時に高鍋城のお堀周辺では、毎年、ジャズなど多彩な企画による「堀床の宴」と称されるイベントが開かれる。
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2007/8/29


高鍋城址 Takanabe-jou-shi 

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 高鍋城址(たかなべじょうし)一帯は舞鶴公園として整備され、二の丸表門が公園の正門にあたる。
 元々は財部城(たからべじょう)と呼ばれ、奈良時代に柏木左衛門尉が創築したと伝えられるが定かではなく、斉衡年間(854~56)に宇佐八幡宮の神官であった土持氏が入り、以後室町末期まで六百年にわたり土持氏の居城であった。
 後に高鍋城と改称されるのは、江戸時代の三代藩主秋月種信の頃で、この時大々的に城の拡張と城下町の整備が完成した。
 高鍋城は標高74mの丘陵に築かれ、丘の中腹に本丸、一段下った平地に二の丸、更に下ったところに三の丸を配した縄張りで、丘陵上には三層の櫓が築かれていた。その姿が羽ばたく鶴に似ていることから別名「舞鶴城」とも呼ばれる。
 二の丸跡の石段を上ると、本丸の正門であった長峰門跡を経て本丸跡にでる。政庁と奥御殿があった箇所に本丸政庁跡の標柱が立ち、本丸跡から更に上ると、見事な石垣が部分的に残っている。
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2007/8/3


高鍋神楽 Takanabe-kagura The Takanabe Kagura Dance

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 高鍋神楽(たかなべかぐら)は、宮崎県児湯郡の高鍋町、木城町に伝わる神楽である。県指定無形民俗文化財とされる。
 起源は明らかでないが、国碑や神社の遺物から推定すると遠く平安時代から舞われていたと思われる岩戸系神楽である。
 旧藩秋月氏領内の高鍋を中心として川南、新富、木城の各神社に奉納され、現在33番が伝わり、夜を明かして、静かで華麗な神楽が舞われる。
 明治以前は藩主の保護・奨励もあって、数百年の伝統と由緒深い比木神社(ひきじんじゃ)が代表的位置を占め、神楽行事を催して発達してきた。
 元来は、各鎮守に奉納する集落の行事であり、高鍋神楽の奉納を「大神事」ともいい、今は旧郷六社を年巡する。
 高鍋神楽は、清楚優美、昔の民俗を偲ぶ伝統芸能である。
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元禄坊主おどり Genroku-bouzu-odori Genroku Bouzu Dance

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 元禄坊主おどり(げんろくぼうずおどり)は、宮崎県児湯郡新富町三納代宮之首の厳島神社にて、毎年旧暦の8月15日に奉納されている踊りである。町指定無形民俗文化財とされる。
 元禄坊主おどりは、宮之首、平伊倉、矢床、奥の4地区で室町時代から伝承されてきており、旧高鍋秋月藩の頃は、藩士ゆかりの神社である、日置水沼神社を中心とした水神祭で踊られた。
 踊りは坊主、奴、嫁女の3人を一組とし、踊手5組以上、唄手、太鼓、拍子木で構成される。
 踊りの主題は五穀豊穣で、奴と嫁女が仲良く踊る所に坊主が割り込んで邪魔をする物語を入れている点や、唄の中に江戸中期以降に流行する人情劇の主題を入れている点などが興味深い。
 元禄坊主おどりは、長い間人々に受け継がれてきた、歴史ある民俗芸能である。
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2007/8/2


湖水ケ池 Komizu-ga-ike Koshimizugaike Pond

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 湖水ケ池(こみずがいけ)は、宮崎県児湯郡新富町日置にある周囲おおよそ1km、南北に長く延びた面積7ヘクタールの池である。
 毎年7月の中旬から8月の中旬ぐらいまで、池一面に蓮の花が咲く。緑の蓮の葉の間からのぞく真っ白な蓮の花は、凛として美しい。
 常時渇水することなく、夏は湖水ヶ池全体が蓮の葉に覆われ、白色の蓮を中心に桃色の蓮も交じり、色鮮やかな光景となる。
 この蓮池で、古くから伝わる独特のレンコン堀りが、冬の風物詩として地元の人によって今も続けられている。
 レンコン栽培は、高鍋藩七代藩主・秋月種茂が冬場に困窮する農民を救う為に植えたのが始まりといわれている。
 池のそばには元禄のころの創建と伝えられる水沼神社がある。水波女神が祭られており、水難除けや農耕の神様として古くから親しまれている。
 湖水ケ池は、盛夏には蓮で埋め尽くされる美しい池である。
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2007/6/4


瀬田・石山の清流 Seta Ishiyama no seiryuu Seta, Ishiyama’s Clear Stream

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 瀬田・石山の清流とは、滋賀県大津市瀬田を流れる瀬田川の景観のことである。
 琵琶湖八景の一つ「夕陽・瀬田石山の清流」は、夕日に映える瀬田川の流れを背景に、日本三名橋の一つ、唐橋を見たものである。
 古くから、近江八景の一つでもある「瀬田の夕照」は、「石山の秋月」と共に滋賀の景色の中でも、特に魅了される景観で、古くから多くの文学作品や浮世絵などにも登場している。
 現在でも観光として屋形船が出され、石山寺や川沿いでは、春は桜、初夏はつつじ、夏は涼風、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の美しい様子を楽しむことができる。
 近年では唐橋には車、瀬田川にはボートやカヌーと、安藤広重の描いた浮世絵とは大きく異なった光景であるが、夕暮れ時、唐橋辺りをボートが行き来する風景は、まるで映画の1シーンのような時代を越えた美しさを魅せてくれる。
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