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京都府舞鶴市の「田辺城(たなべじょう)」は、織田信長の命によって丹後の国を制圧した細川藤孝(幽斎)によって天正八(1580)年に築かれたものである。
幽斎は初め「宮津城(みやづじょう)」を居城としていたが、畿内に近く、交通の要所であったこの地に田辺城を築き、丹後を治めた。
東西に川が流れ、北には湾海を臨むという立地に築かれたこの平城は、鶴が舞う姿の様だと称され「舞鶴城(まいづるじょう)」とも言われた。そして明治以降、「舞鶴」という地名の由来にもなった。
幽斎、忠興親子が居城した後は、京極氏、牧野氏が居城し約二九0年間、丹後を統治する中心的な存在として役割を担った。
現在、本丸付近は「舞鶴公園」として整備され、桜の名所として有名である。
幽斎は初め「宮津城(みやづじょう)」を居城としていたが、畿内に近く、交通の要所であったこの地に田辺城を築き、丹後を治めた。
東西に川が流れ、北には湾海を臨むという立地に築かれたこの平城は、鶴が舞う姿の様だと称され「舞鶴城(まいづるじょう)」とも言われた。そして明治以降、「舞鶴」という地名の由来にもなった。
幽斎、忠興親子が居城した後は、京極氏、牧野氏が居城し約二九0年間、丹後を統治する中心的な存在として役割を担った。
現在、本丸付近は「舞鶴公園」として整備され、桜の名所として有名である。
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