NIPPON Kichi - 日本吉

記事数27件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/1/22


塩船観音 柴燈護摩 火渡り Shiofune-kannon Saitou-goma Hi-watari Saito Goma Fire Festival at Shiofune Kannon

Jp En

 塩船観音(しおふねかんのん)は、東京都青梅市塩船にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院である。本尊は十一面千手千眼観自在菩薩像。関東八十八ヶ所霊場第72番札所とされる。
 大化年間(645~650)に、17歳の時に人魚の肉を食べ不老長寿の身となり、後に尼僧になったという八百比丘尼(やおびくに)が、この地に立ち寄った際に千手観音を安置したのが始まりと言われている。
 毎年五月三日の大祭には、お堂の中で火を焚き、炎の中に御本尊を勧請し、その中に様々な供物を投じて秘密の真言を唱え、諸願の成就を祈る真言宗修験道の柴燈護摩(さいとうごま)が焚かれる。
 その後に山伏の行列を行い、真っ赤になった火の中を刀を持った山伏たちが真言を唱えながら次々と歩いて渡るという、火渡り(ひわたり)の荒行が行われる。
 塩船観音の柴燈護摩と火渡りは、勇壮で荘厳な神事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/28


長命寺 三重塔 Choumei-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 長命寺三重塔(ちょうめいじさんじゅうのとう)は滋賀県近江八幡市長命寺町に所在する塔である。
 開祖は聖徳太子と言われている。平安時代後期に源氏の武将で、その功績により近江国守護職となった佐々木定綱(ささきさだつな)が、本堂はじめ釈迦堂、薬師堂、護摩堂などの諸堂を建立した。しかし、織田信長の兵火によって建物は大方が炎上・焼失し、現存するものは大永年間から慶長年間(1521~1614)に再建されたものである。
 長命寺は高所に建てられているため、八〇八の急な石段を登り詰めなければならない。境内には長命寺本堂があり、その右手に桧皮葺きの屋根が重なり合った美しい三重塔がある。慶長ニ(1597)年に建てられたもので、塔の高さは24・4メートル。擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、三重塔の内部には四天柱、須弥壇があり、胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)が安置され、国の重要文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/15


金泉寺 Konsen-ji 

Jp

 四国霊場第3番札所である金泉寺(こんせんじ)は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基したお寺で、当時は金光明寺と呼ばれていた。のちに弘法大師が訪れ、霊水が湧き出ているのを見て金泉寺と改めたとされる。
 今でも水が湧き出ており、この井戸を覗きこみ、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えが残されている。
 境内からは、天平・藤原時代の古瓦が多く発掘されているため、奈良時代の創建であることが推測される。その後長曽我部元親軍の兵火で伽藍を焼失したが、その後再興、現在の規模となった。
 朱塗りの仁王門をぐくると、左手に鐘楼、右手に八角形をした色鮮やかな朱塗りの観音堂がそびえ、 本堂の左側にある護摩堂の格天井には美しい花鳥が描かれており見所のひとつでもある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




大栗山花蔵院大日寺 Oogurizan-kezouin-dainichi-ji 

Jp

 四国霊場第一三番である大栗山花蔵院大日寺(おおぐりざんけぞういんだいにちじ)。
 弘仁六(825)年、この地を巡錫中の弘法大師が「大師が森」で護摩修法をしていると、空中に紫雲と共に大日如来が出現し「この地は霊域なり、心あらば一宇を建立せよ」と告げられた。
 感得した大師は尊影の大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立して安置したことが寺号の由来となっている。
 山門をくぐると、正面に合掌した手の中に安置された「しあわせ観音」の像がある。その名の通り幸せを祈ると良いとされ、参詣者に親しまれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/12


お火焚大祭 Ohitaki-taisai Ohitaki Taisai

Jp En

 お火焚大祭(おひたきたいさい)は、滋賀県東近江市小脇町の太郎坊宮(たろうぼうぐう)にて毎年12月第1日曜日に行われている神事である。
 太郎坊宮は、阿賀神社とも言い、約1400年前に創始されたと伝えられる。標高350mの赤神山の中腹にあり、「太郎坊さん」の名で親しまれている。
 お火焚大祭は、神道護摩としては日本随一の規模を誇り、全国各地の崇敬者から祈りをこめて捧げられた30万本の護摩木が、奉納者の形代となって忌火で焚きあげる事により、奉納者の罪とけがれを祓い清め、新たな気持ちで新年を迎える。
 火の勢いが落ち着くと、修験者による火渡りの神事や山伏問答が披露される。
 お火焚大祭は、神聖かつ盛大な祭りとして全国的に高名な、伝統の神賑行事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/17


東門院 守山寺 Toumon-in Moriyama-dera Tomonin Moriyamadera Temple

Jp En

 天台宗の開祖・最澄が延暦一三(794)年に開いたと伝えられている。これより六年前に建立された比叡山延暦寺の東門に当たることから東門院(とうもんいん)と呼ばれ、桓武天皇により比叡山を守る寺に名号されたことから守山寺(もりやまでら)とも呼ばれている。所在地名の守山はこれに由来するという。
 江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
 焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/16


ケベス祭 Kebesu-matsuri Kebesu Festival

Jp En

 ケベス祭は、大分県国東市国見町の岩倉社で、毎年10月14日の宵に行われる奇祭。
起源や由来は一切不明で、「ケベス」は「蹴火子(けべす)」が訛って転じたものだとされるが、詳しいことは謎のままの火祭りである。
 祭り当日の夜、奇怪な面を着けた「ケベス」がサマスタと呼ばれる棒を扇子で叩きながら境内を1周すると、猛然と燃え盛る護摩(ごま)焚きの火に向かって走り出す。それを白装束の「トウバ」が阻止しようとし、ケベスと火をめぐって攻防を繰り返す。そして、トウバが火のついたシダを持ち、境内を走り回り、見物客を追い回す。この火の粉を浴びると、その年は無病息災で暮らせるという。
 ケベス祭は、県指定無形民俗文化財であり、日本屈指の奇祭として注目されているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/4


菅原神社 火渡り神事 Sugahara-jinja Hi-watari-shinji The Hiwatari Ritual at Sugahara Shrine

Jp En

 滋賀県野洲市永原(ながはら)にある菅原神社(すがはらじんじゃ)では、毎年二月二五日に「天神まつり」が開催される。この中の「火渡り神事(ひわたりしんじ)」は、立春から始まった新しい年の繁栄と無病息災を祈願する火の祭典と言われ、平成一九年で三〇回目を迎えた。
 火渡り神事は護摩壇(ごまだん)を剣で清め、矢を放って守護を願った後、山伏が護摩壇に積まれた一万本を超える護摩木に火をつける。神火の前で神事が執り行われ、火が収まると山のようになった護摩木の燃え殻を三メートル四方に広げ、いよいよ火渡りの始まりとなる。
 一般参加も可能で、参加者は受付時に渡された足型守(あしがたふ)という紙を手に持ち、熱い燃え殻の上を素足で一歩一歩進んで行く。渡り終えたら両足の裏に墨を付け、足型守に足型を押す。この足型守を寝室の壁に貼っておくと、願いが叶うと言う。
 寺社での「火渡り」は広く行なわれているが、神社で行うのは全国的にも珍しく、滋賀県下では奇祭として知られている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数27件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter