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2007/12/14


おとそ Otoso Otoso

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 「お屠蘇」は、一年間の邪気を祓い、長寿を願って正月に飲まれる薬草酒。「一人これを飲めば一家病無く、一家これを飲めば一里病無し」と云われにもある様に、本来は風邪予防の為に調合され、飲まれていたが、いつしか正月の祝いの膳には欠かせないものになった。
 山椒、桔梗、桂皮など数種の薬草を組み合わせた屠蘇散を、日本酒や本味醂に浸しておいて作り、大・中・小の三種の盃を用いて飲まれる。飲む順番には、地域によって違いがあるが、年齢の若い者から順に飲んでいくのが正式である。これは中国の習慣からきたもので、若い者が毒味をしてからという意味がある。しかし日本では、明治から昭和初期の頃に家長から飲む事も行われる様になった。
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2007/4/12


源宗坊 Gensou-bo Gensobo Temple

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 明治39年に稲田源宗坊が開いたお寺で、門をくぐると道に沿って配置された15体の仏像を見ることができる。
 稲田源宗坊が諸国修行の後に、この地で3年間の荒修行を行い、諸人の病苦を除くことを発願し、薬草を煎じ病人を養い、独力で仏像を刻んだ。
 昔は四季折々の花の咲く公園のような場所だったそうだが、これまでに3度の水害により、仏像が破損するなどの被害を受けている。
 現在源宗坊の孫にあたる原田詳源さんは、人々の憩いの場所として利用されることを願い、仏像やお寺の管理を続けている。
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2007/2/28


弘道館 Koudou-kan 

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 江戸時代後期に日本の常陸国水戸藩に作られた藩校。
 天保12(1841)年、烈公(徳川斉昭)により、水戸城三の丸に開かれた。敷地の総面積は約2万平方メートル。正庁を中心に右に文館、左に武館を配し、天文・数学・地図等の館と、養牛場・薬草園を持つ医学館などが立ち並び、総合大学の偉容を示していた。
 現在は、茨城県営の都市公園の1つである弘道館公園(こうどうかんこうえん)となっている。国の特別史跡に指定されており、正庁・至善堂・正門は国の重要文化財に指定されている。
 敷地西側の大半は武術調練場と馬場で、中央の広場の梅林の中に鹿島神社と孔子廟が祀られ、早春には構内外で美しい梅の花が見られる。
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2007/2/19


端午の節句 Tango-no-sekku Tango-no-sekku (Boy's Festival)

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 5月5日に男子の成長を願い行なわれる行事。五節句の端午、菖蒲の節句とも言われる。
 中国、日本で季節の変わり目とされる端午の日に健康を祈って薬草を摘み、菖蒲酒を飲んだことが始まりとされる。
 鎌倉時代に「菖蒲」は武を尊ぶ「尚武」の意味であるとして、鎧兜や菖蒲人形を飾り、男子の健康や武運を祈願する祭りとして広まった。
 お供え物として食べられる柏餅は、柏が新芽が出るまで枯れないことから、家が途絶えないという縁起を担いだものである。
 庭先に上げられる鯉のぼりは、滝を登り龍となった鯉になぞらえ、子供の立身出世を望んだもの。各地で鯉のぼりの祭りも行なわれ、中でも高知県四万十川の「鯉のぼりの川渡し」は川面に五百匹の鯉が映え、人気を呼んでいる。
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2007/2/15


奈良 大願寺 Nara Daigan-ji Nara Daigan Temple

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 大願寺は奈良県宇陀市大宇陀区に位置する真言宗御室派の寺院。山号は薩垂山(さったさん)。別名を七福寺。
 聖徳太子の命により、蘇我馬子が建立したと伝えられる。江戸時代には宇陀松山藩により保護され、隆盛を誇った。
 本尊は神亀元(724)年に作られた十一面観世音菩薩像、明治十八(1885)年に火災にあいながらも土の中から見つかったことから「焼けずの観音」として知られ、火災、災難除けに御利益がある。
 境内には奈良では珍しい仏足石や、森野旧薬園の園主であった森野好徳の筆塚などが安置されている。
 近隣で採れた薬草を使った精進料理が食べられることでも有名。
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2007/2/9


御薬園 Oyaku-en 

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 歴代会津藩主の別荘として使われてきた庭園で、松平藩の2代正経が薬草を栽培し、3代正容が朝鮮人参を試植したことから「御薬園」と呼ばれるようになった。
 昭和7年に、国の名勝に指定された園内は、元禄時代に小堀遠州の流れをくむ目黒浄定の手で築庭されたもので、磐梯山を借景に、中央に「心」という字を形どった心字の池を、中島には数奇屋づくりの茶室「楽寿亭」を配した美しいたたずまい。現在も、約400種類の薬用植物が栽培されており、また一角には「秋風に荷葉うらがれ香放つ おん薬園の池をめぐれば」と趣のある秋の庭園をうたった与謝野晶子の歌碑や篠田悌二郎の句碑などがある。
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2007/2/6


丹沢湖 Tanzawa-ko Lake Tanzawa

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 丹沢湖は、神奈川県足柄上郡にある人造湖である。かながわ50景、関東の富士見100景、ダム湖100選に選ばれている。
 昭和五十三(1978)年、三保ダムの完成によって酒匂川上流に造られた。
 丹沢湖は自然の環境を大切にした美しい湖で、湖畔からは富士山の眺望、春の桜、秋の紅葉など四季折々の自然が楽しめる。
 また、ボート遊びやフィッシング、サイクリングなどのレジャースポットでもある。
 湖の中央に架かる永歳橋からは、晴天の日には湖面に映る逆さ富士を見る事ができる。
 橋のたもとには丹沢湖記念館、三保の家があり、湖の南東には丹沢湖ビジターセンターや丹沢森林館・薬草園もある。
 丹沢湖は、展望台、遊歩道なども整備されており、安全に自然を楽しめる場所である。
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2007/1/23


忍者屋敷 Ninjya-Yashiki Ninja House

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 三重県伊賀市上野には、伊賀流忍者博物館がある。その中にある忍者屋敷は、伊賀の土豪屋敷を移築した物である。
 伊賀地方では、この地で多く採れる薬草から秘薬の製造や、火薬の調合を行なっていた。その門外不出の秘密の製造方法を書き留めた巻物を狙い、賊の侵入がしばしば起こっていたという。
 そこで自衛のために、家の至る所にからくりを設け、巻物を隠したり、逃げるための時間を稼ぎだした。これらのからくりが、忍者屋敷と呼ばれる所以である。
 外観は何の変哲もないごく普通の茅葺きの農家だが、屋敷のあちこちに仕掛けが施されている。
 屋敷内ではドンデン返し、仕掛け戸、もの隠しなど、実演を交えて説明してくれる。
 伊賀の忍者屋敷は、戦国の昔を体感出来るアトラクション的建物である。
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