NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/12


雪野寺(龍王寺) Yukino-dera(ryuuou-ji) Yukinodera (Ryuoji Temple)

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 雪野寺(ゆきのでら)は、滋賀県蒲生郡竜王町川守にある天台宗の寺である。本尊は、薬師如来。
 標高308mの雪野山麓に存在する、奈良時代中期に行基が雪野寺という名称で創建した寺であるが、度重なる火災で焼失し、平安時代に龍王寺(りゅうおうじ)に改称して再興された。
 龍王寺が正しいが、今でも雪野寺や野寺などと呼ばれている。
 この寺の梵鐘は、古くから「野寺の鐘」として親しまれており、大蛇であった美女の伝説が残っている。鐘は、本尊の左右脇段の十二神将立像と共に、国の重要文化財に指定されている。
 毎年、旧暦の仲秋の名月である8月15日には、ぜんそくによく効くといわれる「へちまのお加持」が行われている。
 雪野寺は、多くの参拝客が訪れる篤く崇敬されている寺院である。
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2007/11/7


羽田神社 Hada-jinja 

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 「羽田のお山がけ」でも知られる、宮城県気仙沼市にある羽田山の麓に鎮座するのが、羽田神社(はだじんじゃ)である。
 おおよそ千三百年前の奈良時代、養老五(721)年に、行基によって五穀豊穣、無病息災を祈って創建されたといわれる。
 また、大同元(806)年には坂上田村麻呂により再建されたとも伝えられる。
 その後、一端は荒廃するものの建久三(1190)年、豊後守・尾形三郎惟義(これよし)によって再興。以後は廃れることなく、波多権現や羽田山大権現、羽田三所権現などとも称されながら、本吉北方二一ヶ村の総鎮守として祀られ、奥東の古社として今に至っている。
 境内には本殿の両隣に樹齢千年を超えるといわれる、巨大な杉の木が二本、聳え立っている。
 同社を再興した尾形三郎惟義の嫡男小太郎と次男の二人が、文治二(1186)年に植えたとする社伝があり、本殿向かって右の杉が太郎坊、左の杉が次郎坊といわれ、千年を経た今も、参拝者達に親しまれている。
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2007/11/1


静岡 霊山寺 Sizuoka Reizan-ji Shizuoka Reizanji Temple

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 霊山寺は、静岡県静岡市清水区にある古儀真言宗の寺である。本尊は千手観音立像とされる。
 天平勝宝元(749)年、行基により開山されたと伝わる。
 山腹に建つ仁王門と寺は東側の山中にあり、正慶年間(1332〜34)に、現在地に移転した。
 三十三曲と呼ばれる山道の先にある仁王門は、室町末期の建立とされ、県内でも最古の建築であり、国の重要文化財となっている。
 駿河七観音の一寺として古くから信仰され、本堂には行基の自作という千手観音が納められている。
 桜の咲く時期は、参道に咲く桜がとても美しく、大内から霊山寺を経て一本松公園まで登れるハイキングコースもある。
 霊山寺は、地元では「大内の観音さん」と呼ばれ、今も親しまれている寺院である。
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2007/10/15


山田薬師 Yamada-yakushi 

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 奈良時代の僧・行基によって開かれたとされ、新四国曼陀羅霊場・第五三番札所でもある善福寺(ぜんぷくじ)。そこには日本三大薬師のひとつ「山田薬師(やまだやくし)」がある。
 天平年間(729~749)、宇和に天然痘が流行し、多くの死者が出た。困った群主が神に祈りをささげると、行基にすがるようにと告げられ、群主は行基に仏像の彫刻を依頼した。彫り上げられた薬師如来像を山田に安置すると、猛威を振るっていた天然痘はぴたりと止んだという伝説が残る。
 行基は後に朝廷より菩薩の称号が与えられ、行基菩薩と言われるようになった。安置されている薬師如来像は行基菩薩作とされている。
 また、昭和三八年の豪雨で本堂脇の岩山が崩れ落ちた際、本堂は岩の下敷きになったが、像はお堂の外に飛び出し傷一つなく無事だったという話も残る。巨大な岩は今も本堂のすぐ傍にある。
 四月八日の「花祭りの日」には屋根を花で飾った花御堂が作られ、家内安全・無病息災を祈願する人たちで賑わう。
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2007/10/12


薬王院有喜寺 Yakuou-in-yuuki-ji Yakuoin Yukiji Temple

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 薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町にある真言宗智山派大本山の寺院。本尊は、薬師如来、飯縄権現(いづなごんげん)。関東九十一薬師五番、関東三十六不動八番、多摩八十八ヶ所六八番札所である。
 天平一六(744)年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられ、その際に本尊として薬師如来が安置された事から、薬王院と称し、真言宗智山派の関東三大本山のひとつとされている。
 後に京都の醍醐山の僧・俊源が飯縄大権現を本尊として山岳宗教の基礎を築いてからは、多くの修験者達の修行場となり、現在も高尾山修験道の本拠地となっている。
 江戸時代には高尾講と呼ばれる山岳信仰の組織が結成され、今日も信徒による参拝行事が盛んに行われている。
 薬王院有喜寺は、二五〇〇点余りの古文書も所持する名刹である。
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2007/10/2


行基 Gyouki Gyoki

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 行基(ぎょうき)は奈良時代の僧。古代民間仏教のカリスマで、その偉業により行基菩薩と尊称された。
 天智天皇七(668)年、河内国(現・大阪府)に誕生。法興寺の道昭を師として、一五歳で出家。仏教教理の他に、土木技術を学んだ。
 「教団は王権から独立すべきである」という三階教の教えを根本思想に、伝道と社会事業を融合させ、民衆を煽動した。畿内を中心に諸国を巡り、造寺、墾田開発、橋梁架設などを押し進めた。
 驚異的な指導力が朝廷に危惧され、僧尼令違反で禁圧されたが、大仏造営の勧進役を買って出ると、逆に朝廷より大僧正位を授けられた。
 大仏造営中の天平二一(749)年、奈良・菅原寺で八一歳で入滅。『日本霊異記』『本朝法華験記』『日本往生極楽記』に数々の伝説が残る。行基の軌跡を記した「行基図」が、日本地図の原型という説もある。
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2007/8/23