円通院霊屋 Entsuuu-in-otamaya
|
円通院(えんつういん)は、宮城県の松島にある伊達光宗の菩提を弔った寺である。
伊達光宗は、仙台藩二代藩主忠宗の二男であり、将来を託望される文武両道に秀でた人物だったが、わずか19歳の齢で死去する。
その御霊を弔うために正保四(1647)年に円通院に建立されたのが、三慧殿(さんけいでん)との別名も持つ霊屋(おたまや)である。
内部にある厨子にはキリシタン文化の影響が垣間見え、厨子の右扉には日本最古といわれる西洋バラや十字架などが描かれている。
一説よると光宗は、その文武に優れた才能のため、外様大名から名君が出ることを恐れた幕府から毒殺されたとも言われており、そんな幕府に反発するかのように、使節団としてヨーロッパに赴いた支倉常長(はせくらつねなが)らが持ち帰った西洋文明の影響をわざと色濃く反映させたとも伝えられている。
絢爛豪華で優美なその厨子には、伊達家の気概が映し出されている。
伊達光宗は、仙台藩二代藩主忠宗の二男であり、将来を託望される文武両道に秀でた人物だったが、わずか19歳の齢で死去する。
その御霊を弔うために正保四(1647)年に円通院に建立されたのが、三慧殿(さんけいでん)との別名も持つ霊屋(おたまや)である。
内部にある厨子にはキリシタン文化の影響が垣間見え、厨子の右扉には日本最古といわれる西洋バラや十字架などが描かれている。
一説よると光宗は、その文武に優れた才能のため、外様大名から名君が出ることを恐れた幕府から毒殺されたとも言われており、そんな幕府に反発するかのように、使節団としてヨーロッパに赴いた支倉常長(はせくらつねなが)らが持ち帰った西洋文明の影響をわざと色濃く反映させたとも伝えられている。
絢爛豪華で優美なその厨子には、伊達家の気概が映し出されている。
- 住所
- 981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字町内67
- 名前
- 円通院霊屋