NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


蒲郡市 無量寺 Gamagori-shi Muryou-ji 

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 蒲郡市(がまごおりし)にある無量寺(むりょうじ)は、別名西浦不動ともいう。貞観元(859)年に真雅僧正の開創した古刹として知られ、また「がん封じの寺」として知られている。
 境内には戒壇めぐりの行場や、市内第二位の大きさを誇る天然記念物の大楠がある。
 無量寺には、中国は西安の慈恩寺をまねて作られた、高さ20メートルの大雁塔が建っている。塔は方形が七層のつくり。慈恩寺という寺は玄奘三蔵(三蔵法師)が天竺から持ち帰った経典の翻訳を行なった寺として知られている。
 無量寺の隣に建てられているのが、がん封じ堂である。絵馬には人形が描かれており、がんを直したい箇所を黒く塗るようになっている。堂には絵馬がびっしりと掛けられており、この寺の信仰にあやかって参詣する人々が多いことがうかがえる。
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2008/3/4


日本画 Nihonga 

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 日本画(にほんが)は、日本で独自に発展した絵画におけるジャンルの一つである。
 明治時代にヨーロッパからもたらされた油絵に対し、それまでの日本の伝統的な技法や様式の上に描かれた絵画を指す。
 哲学者であるアーネスト・フェノロサが来日した際、明治一五(1882)年に行った講演で使われた「Japanese painting」の翻訳が、日本画という言葉の初出とされている。
 その後、明治二二(1889)年の東京美術学校開校や明治三一(1898)年の日本美術院創立などにより、日本画隆盛の土台が築き上げられていくこととなる。
 その制作には様々な種類の岩絵具が主として用いられ、膠(にかわ)水で溶いて使われる。これらには溶解しにくい性質があり、絵具を薄く塗り重ねて制作することが可能であるという特徴を持つ。
 岩絵具の取り扱いは癖があり難しく、また高価であることもあって広く一般に普及しているものではないが、それらを駆使して表される世界観は、まさに日本独自のものといえるだろう。
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