NIPPON Kichi - 日本吉

2008/5/26

三田城跡 Sanda-jyo-ato 

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 三田城跡(さんだじょうあと)は、兵庫県三田市屋敷町にある城跡である。
 天正二(1574)年、伊丹城主・荒木摂津守の武将である荒木平太夫の居城として車瀬城を築城し、門前集落を基礎とした城下町が建設された。
 戦国時代末期から、山崎堅家、有馬則頼、松平重直と城主が代わり、寛永一〇(1633)年、志摩鳥羽の九鬼久隆が三万六千石の大名として入封した。同時に以前からあった車瀬城を廃し、三田城を築いた。
 城跡は現在の三田小学校のあるところで、有馬高校実習園が二の丸跡となっている。三田小学校前には城跡碑があり、有馬高校との間にわずかに内堀が残る。
 大池は三田城の堀であった所で、九鬼氏が山間の三田に移されても九鬼水軍の昔を忘れぬように、と舟艇操縦の練習をした場所である。
 三田城跡は、三田市の中心にある、かつて要害だった城跡である。

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住所
669-1532 兵庫県三田市屋敷町
名前
三田城跡
HP
http://www.ralphkiggell.com




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