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2008/2/12


旗印染 Hatashirushi-zome 

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 旗印染(はたしるしぞめ)は京都で古くから伝わるもので、旗やのぼりなどに固有名の文字や紋章、記号などを染め出す技術のことである。
 文献によると旗は卑弥呼の時代からすでに登場し、のぼりは応仁の乱には使用されていたと記されている。
 技法は型を使ってのりを置き、染めてからのりを落とす型染め(かたぞめ)という方法で文様をうかび上がらせるものである。
 旗印染は非常に繊細な作業と大胆な作業を持ち合わせた、技術の高い染色方法である。中世に活躍した藍染専門の職人たちを称した紺屋(こんや)が作り上げていったものといわれている。
 その後、時代の遍歴とともに旗印染は旗やのぼり以外に風呂敷、ふくさ、印ばんてん、ゆかた、のれんなど、その用途は広がりをみせ、今日までその技術は京都で受け継がれている。
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2007/12/14


重箱 Jyubako Jubako Lunch Boxes

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 形は四角い物が一般的で、円形や八角形のものもある、二重・三重・四重・五重に積み重ね、食べ物を入れる箱。正式には、四季を表す四段重とされる。今日では、主に正月におせち料理を入れたり、花見や運動会などで弁当を入れる事に使われている。
 起源としては、中国の食籠(じきろう)が、伝わったものと考えられるが、室町時代の文献に、既に重箱の記述を見る事が出来る為、その歴史はかなり古いと考えられる。しかし、庶民に普及したのは江戸時代で、1610年に本格的に重箱が製造されてからである。そして、武家や大名の間では、狩りなどに出掛ける時に使用されていた。また、漆塗りや蒔絵の豪華な物も作られ、伝統工芸品として現在に伝えられている。
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2007/8/30


赤坂人形 Akasaka-ningyou Akasaka Dolls

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 赤坂人形は、福岡県筑後市赤坂にて作られる土人形である。福岡県特産民芸品に指定されている。
 赤坂土人形の歴史については、どの文献にも何も伝えられておらず、いつからこの地で作られたかは不明である。
 おそらくは徳川中期の頃、有馬藩の御用窯として発達した際、その余技として製作されたものであろうといわれている。
 「てってぽっぽ」(不器用な人という意味)として当時の子供達に親しまれた鳩笛が一番有名で、そのほか福神、天神、猿など、十数種の土型がある。
 粗い素焼きに胡粉(貝殻を焼いて作った白色の顔料)をかけ、彩色しただけの土人形で、素朴な童心にあふれている。
 赤坂人形は、飾り気のない単純な純真さを持つ、筑後を代表する懐かしい民芸品である。
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2007/8/14


愛媛 龍王城跡 Ehime Ryuuou-jo-seki 

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 愛媛県喜多郡内子町五十崎にある龍王城跡は、現在、梅園としても有名な龍王公園の中にある。公園の中には模擬櫓があり、展望台となっている。
 この地からは多数の石器や土器が出現することから古くから文化が発達していたと見受けられる。
 文献によると平安時代初期に越知喜多守が砦を築き、七代目当主・益躬(ますみ)まで居城していたと言われている。
 室町時代には久保因幡守源高実が居城していた。天正の初めには城戸直宗が居城、しかし、長宗我氏の援助を受けた曾根宣高の再度の攻略で天正五年落城してしまう。
 宣高は河内駿河守吉行を城代としてこの地を統治していたが、豊臣秀吉の四国征伐のおり、小早川隆景に攻められ龍王城は廃城となった。
 現在、龍王公園は地元の人々の憩いの地となっている。
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2007/5/31


琵琶湖 Biwa-ko Lake Biwa

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 約400万年前に出来た琵琶湖は、バイカル湖、タンガニィカ湖に次いで3番目に古く、世界でも10箇所程しか確認されていない「古代湖」の一つ。日本最大の面積を誇る湖でもある。
 室町時代に関白近衛政家が中国の洞庭湖の瀟湘八景にならって選んだ「近江八景」が、広重の時代から有名だが、残念ながら現在では、その趣はほとんど残っていない。
しかし、1950年に制定された「琵琶湖八景」は、現在もほぼ変わらぬ姿を見せてくれる。
暁霧 梅津大崎の岩礁(高島市)
涼風 雄松崎の白汀(大津市)
煙雨 比叡の樹林(大津市)
夕陽 瀬田・石山の清流(大津市)
新雪 賤ヶ岳の大観(木之本町)
深緑 竹生島の沈影(長浜市)
月明 彦根の古城(彦根市)
春色 安土・八幡の水郷(安土町・近江八幡市)
 この様な景勝地をまわって壮大な情景に心を洗われたり、歴史の散策で城下町を歩いて文献を広げるという楽しみ方が琵琶湖にはある。
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2007/5/25


北海道 旧中村家住宅 Hokkaido Kyuu-nakamurake-juutaku 

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「旧中村家住宅(きゅうなかむらけじゅうたく)」は、江戸時代、北海道で海産物の仲買をしていた商人・大橋宇兵衛が建てたものである。檜山郡江差町に所在し、約100年の歴史を持つ。
 越前石を積み上げた土台、総ヒノキ切妻造りの母屋など、問屋建築の代表的な造りである。ヒノキの組み立て式のため、釘は一切使わない建築方式を取っている。
 帳場のある母屋から海に向かい、文庫倉、下ノ倉、ハネダシと呼ばれる船着場の3棟が続く、「通り庭方式」と呼ばれる江戸期の問屋独特の造りだ。
 現在は一般公開されており、屋内も見学可能。館内では北前船の文献や、ニシン漁に使われた道具なども展示されている。
 江戸時代の問屋建築を今に残す貴重な史跡として、国指定の重要文化財に指定されている。
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2007/4/3


春日部桐箪笥 Kasukabekiridansu 

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 江戸時代初期、日光東照宮を作るために集まった職人が、日光街道の宿場町である春日部に住みつき、周辺で採れるキリの木を材料とした指物や小物を作り始めたのが始まりであると伝えられている。
 江戸時代中頃の文献に、10人ほどの業者が記されていることや、明和9(1772)年の裏書きのある桐箪笥が現存することなどから、すでに産地の形が整い始めていた事がうかがえる。
 19世紀半ば頃から桐箪笥も作られ、明治期には総桐の重ね箪笥が大量に作られ、東京方面へ出荷された。昭和54年に伝統的工芸品に指定。
 春日部桐箪笥は、軽く、湿気に強く、加工が容易なことで知られている。
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2007/3/26


枯山水 Kare-sansui 

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 日本庭園や日本画の様式、風合いのひとつであり、池や遣水などの水を用いずに、石や砂などを見立てに使い、山水の風景を表現する庭園様式。
 例えば、白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水である。石の表面の紋様で水の流れを表現することもある。
 枯山水が作庭上の専門語として、最初に文献上に現れるのは、平安時代に編集された作庭記であるといわれ、それは池泉庭園の一部としてその一画に枯山水石組みをしたものであった。
 しかし、今日云う枯山水式庭園は、室町時代、禅宗寺院の庭を中心に発達を遂げてきたもの。それから瞑想や座禅の場にふさわしい造形として、枯山水という侘び、寂びを含んだスタイルに発展してきた。
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