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2008/9/5


伊良湖東大寺瓦窯跡 Irago-toudai-ji-kawara-kama-ato 

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 伊良湖(いらこ)東大寺瓦窯跡は昭和四一(1966)年、豊川用水初立(はつたち)ダム工事中に発見された。その後の調査により鎌倉時代に東大寺大仏殿の瓦を焼いた窯であることが明らかになった。出土した瓦にいずれも東大寺の銘があり、軒先に付けられる丸い鐙瓦(あぶみがわら)には「東大寺大仏殿瓦」の文字が刻まれていた。
 平窯一基と傾斜地を利用した細長いトンネル状の窖窯(あながま)が三基見つかった。窖窯の全長は一一.三~一一.五m、最大幅は二.五mあった。
 当時生産された枚数は一説には五万枚ともいわれている。平瓦で長さ四三cm、厚さ三cm、重さは七kgもあった。三五〇tにもおよぶ大量の瓦は海路で運ばれたとされる。
 数々の出土遺物は田原市渥美郷土資料館の埋蔵文化財室に展示されている。
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2008/8/7


伎楽面 Gigaku-men Gigaku Mask

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 中国から伝わった伎楽(ぎがく)は、大きな仮面をつけて演じる、台詞が全くない無言劇のことである。
 この伎楽で用いる仮面を「伎楽面(ぎがくめん)」といい、舞楽面や能面よりも大きく、頭からすっぽりと被るもので、人顔・妖怪・獅子・金剛など役柄に応じて様々な種類が存在する。
 正倉院や法隆寺、東大寺などには、百面を超える伎楽面が現存し、国宝として指定されている。
 日本では六世紀頃、仏の教えを深く理解させ仏法を広める目的として、寺社の境内で盛んに伎楽が上演されていた。天平勝宝四(752)年、東大寺の大仏開眼の際にも、大規模な伎楽がおこなわれ、その時の伎楽面が正倉院に残されている。
 伎楽面には、「木彫」と漆を塗って固めた「乾漆」があり、木彫には楠木や桐が使われている。
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2008/7/28


湛慶 Tankei 

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 湛慶(たんけい)は、鎌倉時代の仏師で、東大寺金剛力士像造仏で著名な仏師、運慶の嫡男である。
 承安三(1173)年~建長八(1256)年とされるが、没年には諸説ある。
 祖父の康慶が興した平安末期にはじまる仏師の一派「慶派」に属し、父である運慶や同じく仏師として知られる快慶と並ぶ大家として知られている。
 運慶工房の一員として、東大寺や興福寺の復興造像に携わり、運慶が没するまで、さながら父子二人三脚で隆盛を極めていくこととなる。
 父の没後は工房の後継者として活動し、生命感あふれるたくましい表現の「運慶様式」を引き継ぎつつ、さらに洗練された温和な作風の作品を生み出してその独自性を高めていくが、建長八(1256)年、東大寺講堂の復興造像における中尊千手観音像の造像半ばで没する。
 代表作としては、京都の妙法院・三十三間堂本尊の木造千手観音坐像や高知県の雪蹊寺にある木造毘沙門天及び両脇侍立像がある。
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2008/7/25


運慶 Unkei 

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 運慶(うんけい)は、平安時代末期~鎌倉時代初期に活動した仏師である。
 一二世紀半ば頃、奈良の名仏師・康慶(こうけい)の子として生まれた。
 平安中期以来造像の基準であった定朝様式の作風が固定したことに対し、鎌倉時代にその反省がおこり、運慶は父・康慶とともに定朝様式を受け継ぎながらそれを脱却、強く鋭い作風を築きあげていった。
 天才的な腕前を誇り、1180年代後半の一時期、鎌倉武士のために仏像を手がけ、貴族中心の平安の世から武士社会である鎌倉時代への変遷の中で、仏像も優雅端整なものから質実剛健なものが好まれる様になり、その流れに合って運慶派はもてはやされるようになったという。
 代表作として、東大寺南大門の金剛力士像、興福寺の諸像などが知られている。
 運慶は、慶派の中心的仏師として活躍した名仏師である。
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2008/7/14


華厳五十五所絵巻 Kegon-gojuugosyo-emaki 

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 華厳五十五所絵巻(けごんごじゅうごしょえまき)は、奈良県奈良市雑司町の東大寺(とうだいじ)が所有する絵巻物である。国宝に指定されている。
 現在、東大寺に37段分、藤田美術館に10段分、その他計54段分が存在している。
 大乗仏教の経典のひとつである「華厳経」の「入法界品」に説かれる、のべ55人の聖者を訪ね、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたという、菩薩行の理想者・善財童子(ぜんざいどうじ)の求法の旅を描いた、縦28・6cm、横42・8cmの絵巻である。
 軽快な描線と上品な彩色が特徴で、合掌している童子の姿は非常に可憐で、清澄な画風はひたむきな童子の旅を主題とした内容ともよく調和している。
 華厳五十五所絵巻は、平安時代に制作された貴重な絵巻物である。
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2008/6/16


ならまち Naramachi Nara-machi

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 奈良県奈良市の市街地南に位置し、古い町家や寺院が集まる元興寺の旧境内界隈を「ならまち」と呼ぶ。奈良で一番古い町として、伝統建築群地域に指定されている。
 江戸時代末期から明治のならまちの面影を伝える町並みは、第二次世界大戦の戦火を免れたもので、風情ある建物があちらこちらに残されている。
 旧市街は平城京の外京にあたり、平城京のまちの構造をもとに、中世に新たに発達したまちであった。都が長岡京に移った後、平城京は荒廃したが、寺院はそのまま残された。東大寺や興福寺の辺りには、寺の仕事にたずさわる人々が住みつき、やがて郷(ごう)と呼ばれるまちをつくりあげた。
 懐かしい生活用具などを展示してある「奈良町資料館」や、間口は狭く奥行きの深い、伝統的な町屋を再現した「奈良市ならまち格子の家」など、今も当時の面影を残している。
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2008/5/9


東大寺盧舎那仏像 Toudai-ji-Rushanabutsu-zou 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。南都七大寺1番で、全国の国分寺の本山にあたる総国分寺とされる。
 8世紀前半に聖武天皇が建立した寺で、本尊・盧舎那仏は奈良の大仏として良く知られ、像高は14.98m、重さは380トンで、国宝に指定されている。
 盧舎那仏は、聖武天皇の発願で天平一七(745)年に制作が開始され、天平勝宝四(752)年に魂入れの儀式である開眼供養会が行われた。
 華厳経の本尊で、その意味は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出されている仏とされる。
 残念ながら、現存する像のうち、当初の部分は台座、腹、指の一部など、ごく一部となってしまった。
 東大寺の盧舎那仏像は、華厳経の説く「悟りの世界」を絵に表した、巨大な仏像である。
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東大寺 戒壇院 Toudai-ji kaidanin 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。南都七大寺1番で、全国の国分寺の本山にあたる総国分寺とされる。
 8世紀前半に聖武天皇が建立した寺で、本尊・盧舎那仏は奈良の大仏として良く知られている。
 戒壇院(かいだんいん)は、出家者が受戒するための施設である。天平勝宝七(755)年に鑑真和上を招いて、三つの戒壇院が創建された。三大戒壇はここ奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にあり、正式の僧侶になるためにはいずれかで「戒」をうけなければならなかった。
 現在の建物は享保一八(1733)年の再建で、内部には中央に宝塔があり、その周囲を国宝の四天王像が守っている。
 東大寺の戒壇院は、素晴らしい宝物が多く納められている歴史ある建築物である。
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