臼杵城 Usuki-jou
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臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市臼杵にあった城である。別名、丹生島城(にゅうじまじょう)とも言われる。
永禄五(1562)年、臼杵湾に浮かぶ周囲4kmの丹生島に大友宗麟(おおともそうりん)によって築城され、宗麟はそれまでの大友氏代々の居城・府内城(ふないじょう)からこの城に移った。
天正一四(1586)年、島津氏の大軍によって落城して後は城主は転々とし、慶長五(1600)年、稲葉氏の居城となり、以後明治維新まで続く事となる。
明治一〇(1877)年の西南の役では、臼杵士族隊と西郷隆盛軍の間で戦いが始まったが、臼杵城は一日で落城、廃城となった。
現在、城郭主要部は公園として整備され、石垣、空堀が残る。また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存している。
臼杵城は、今でも地域の人々に慕われている城跡である。
永禄五(1562)年、臼杵湾に浮かぶ周囲4kmの丹生島に大友宗麟(おおともそうりん)によって築城され、宗麟はそれまでの大友氏代々の居城・府内城(ふないじょう)からこの城に移った。
天正一四(1586)年、島津氏の大軍によって落城して後は城主は転々とし、慶長五(1600)年、稲葉氏の居城となり、以後明治維新まで続く事となる。
明治一〇(1877)年の西南の役では、臼杵士族隊と西郷隆盛軍の間で戦いが始まったが、臼杵城は一日で落城、廃城となった。
現在、城郭主要部は公園として整備され、石垣、空堀が残る。また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存している。
臼杵城は、今でも地域の人々に慕われている城跡である。
- 住所
- 875-0041 大分県臼杵市臼杵
- 名前
- 臼杵城