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「本證寺(ほんしょうじ)」は、鎌倉時代の僧侶、慶円(きょうえん)上人を開基とする浄土真宗の寺である。
室町時代には非常に大きな勢力を持ち、三河一向一揆では、蓮如の孫にあたる第十代空誓(くうせい)が家康に対立した寺院の中心となって闘ったという。残念ながら戦いには敗れ、天正一一(1583)年に禁制が解かれるまで廃寺同然となってしまったが、その後は本堂の再建を果たし、江戸期には、その末寺は三河・尾張をはじめ越前・江戸にまでに及び、二〇〇余寺を数えるほどになったという。
広い敷地には、大手門のような厳しい山門、櫓(やぐら)のような二層の楼閣、土塁の一部、そして水で満たされた外掘と内堀などがあり、戦国時代の名残をとどめる、貴重な遺構とされる城郭寺院である。保存状態が良いため、文化財の宝庫と呼ばれることもある。
室町時代には非常に大きな勢力を持ち、三河一向一揆では、蓮如の孫にあたる第十代空誓(くうせい)が家康に対立した寺院の中心となって闘ったという。残念ながら戦いには敗れ、天正一一(1583)年に禁制が解かれるまで廃寺同然となってしまったが、その後は本堂の再建を果たし、江戸期には、その末寺は三河・尾張をはじめ越前・江戸にまでに及び、二〇〇余寺を数えるほどになったという。
広い敷地には、大手門のような厳しい山門、櫓(やぐら)のような二層の楼閣、土塁の一部、そして水で満たされた外掘と内堀などがあり、戦国時代の名残をとどめる、貴重な遺構とされる城郭寺院である。保存状態が良いため、文化財の宝庫と呼ばれることもある。
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