NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/4


本證寺 Honshou-ji 

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 「本證寺(ほんしょうじ)」は、鎌倉時代の僧侶、慶円(きょうえん)上人を開基とする浄土真宗の寺である。
 室町時代には非常に大きな勢力を持ち、三河一向一揆では、蓮如の孫にあたる第十代空誓(くうせい)が家康に対立した寺院の中心となって闘ったという。残念ながら戦いには敗れ、天正一一(1583)年に禁制が解かれるまで廃寺同然となってしまったが、その後は本堂の再建を果たし、江戸期には、その末寺は三河・尾張をはじめ越前・江戸にまでに及び、二〇〇余寺を数えるほどになったという。
 広い敷地には、大手門のような厳しい山門、櫓(やぐら)のような二層の楼閣、土塁の一部、そして水で満たされた外掘と内堀などがあり、戦国時代の名残をとどめる、貴重な遺構とされる城郭寺院である。保存状態が良いため、文化財の宝庫と呼ばれることもある。
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2007/12/6


浄感寺(長八記念館) Joukan-ji(Chouhachi-kinen-kan) Jokanji Temple (Chohachi Memorial Museum)

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 浄感寺(じょうかんじ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある浄土真宗本願寺派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 永仁年間(1293~1299)に創建され、浄信上人によって開基された。元禄の大火で全焼してから衰退していたが、本多正観によって本堂が再建され、隆盛を取り戻したとされる。
 寺の本堂が、長八記念館(ちょうはちきねんかん)となっている。
 入江長八は、漆喰細工の名人とうたわれた左官職人で、江戸に多くあった代表作はそのほとんどが震災や戦災で焼失してしまったが、ここには長八の傑作として有名な、天井に描かれた「八方睨みの龍」や、「飛天」など約20点の作品が残っている。
 また、境内には長八の墓と胸像、記念碑が立つ。
 浄感寺は、長八の菩提寺であり、古来より災いを除き幸運を招く寺としても名高い寺院である。
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2007/10/11


親鸞 Shinran Shinran

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 親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。
 承安三(1173)年、京都・日野に誕生。九歳から二九歳まで、比叡山にて堂僧として修行を積む。その後、浄土宗開祖・法然の門弟となり、「他力念仏」の道を極めた。
 専修念仏の弾圧により、法然・親鸞ら八名が流罪となる。法然と生き別れした親鸞は、越後で俗名を名乗って暮らした。
 赦免の後、関東の常陸(現・茨城県)に移り、法然の教えを土台に、約二〇年間に及ぶ伝道布教を行った。親鸞は権力を持たずに、非僧非俗の立場を貫いた。
 帰郷し、主著『教行信証』(顕浄土真実教行証文類)を初め、多くの書物を仕上げた。浄土真宗の核が完成し、様々な継承・発展を遂げた。口承の書として、『歎異抄』が有名である。
 弘長ニ(1262)年、九〇歳で往生。没後に皇室から見真大師の諡号を贈られる。
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2007/8/30


茨城 西念寺 Ibaraki Sainen-ji Ibaraki Sainenji Temple

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 浄土真宗別格本山 稲田山西念寺。
 鎌倉時代の初め、越後への流罪が解かれた親鸞は、招かれて茨城県笠間市稲田のこの地に草庵を結び、布教をしていた。
 建保二(1214)年から寛喜四(1232)年のことである。
 この間、根本教典の「教行信証」を記し、その後京都に戻った。
 境内にはお葉付き銀杏をつけるイチョウの珍種がある。2000年11月15日に県の文化財に指定された。
 銀杏は化石の植物といわれ、その起源は百万年以前に遡る。この木は老木ではないが、それが親鸞聖人が蒔いたものと思って見れば、参拝の念佛者にとって特になつかしいものである。
 参拝者は一粒の実を参拝の記念に蒔いて、深き佛縁を喜んでいる。
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2007/6/28


青森 清水寺 観音堂 Aomori Seisui-ji Kannon-dou 

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 青森の清水寺(せいすいじ)は、青森県八戸市是川中居にある浄土真宗の寺である。本尊は千手觀音。奥州南部糠部三十三観音霊場第2番札所とされる。
 清水寺は、平安時代に天台宗の高僧慈覚大師により建立されたと伝えられ、明治時代に改宗して、現在は浄土真宗となっている。また、本尊の千手觀音は盗難され、現在は金銅救世観音像を安置している。
 三間四方宝行造茅葺屋根の観音堂(かんのんどう)は、天正九(1581)年、建立されたとされる県内最古の木造建築であり、清水寺本堂裏手の杉木立の中で静かに鎮座している。
 鎌倉時代に中国から伝わった建築様式で、中世的仏堂として東北地方の貴重な遺構となっている。
 昭和五五(1980)年、国の重要文化財に指定される。
 青森の清水寺観音堂は、古い歴史を誇る貴重な建物である。
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上国寺 Joukoku-ji 

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 上国寺(じょうこくじ)は、北海道最古の建立と言われる古刹。
 寺伝によると、室町時代の嘉吉三(1443)年に真言宗の僧、秀延が創立したと伝えられている。現在は浄土宗の寺である。
 国の重要文化財に指定されている本堂は桃山時代の建築様式を今に伝える貴重な遺構。
 本堂の内陣天井に支輪に宝暦八(1758)年の墨書があり、細部の様式などからもこの頃の建立であると考えられているが、その建築年代は上限を永禄年間(1558~1570)に、下限を寛永年間(1624~1644)に見ることができるそうだ。
 境内には北海道の代表的なサクラ、エゾヤマザクラが植えられており、見ごろの5月頃には花見がてら訪れる参詣客で賑う。
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2007/6/26


松前 専念寺 Matsumae Sennen-ji 

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 専念寺(せんねんじ)は、約400年前に建てられ、浄土真宗では、北海道最古のお寺である。
 開基は戦国時代の天文二(1533)年。本願寺実如の弟兼俊の孫真徳が蝦夷地に渡り、松前家四世季廣に招かれ、一寺を創立したのが始まりだという。その2年後に真徳が死亡したため、季廣の四男随良が養子となって、真勝と改名して二代目を継ぎ、慶長五(1600)年現在地に移転した。
 松前家の特別な保護を受けて幕末までに北海道内における布施を独占し「エゾ御坊」といわれたほどの名刹だったが、明治以後2回の火事にあい、現在は山門や経蔵、納骨堂に昔の面影が残っているのみである。
 
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2007/6/19


正信寺 Shoushin-ji Shoshinji Temple

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 正信寺(しょうしんじ)は、北海道浦河郡浦河町にある浄土真宗大谷派の寺である。本尊は、阿弥陀如来像。
 安政五(1858)年、函館に役寺正信坊施設として創立されたのが、始まりとされる。
 明治一一(1878)年、最初の住職となる清水綱道が、日高国浦河郡への移転を願い出た。
 翌年、堂宇を建て、本尊である阿弥陀如来像を持って浦河村鱗別に移転し、本願寺末寺とした。
 昭和三四(1959)年、昭和二七年の十勝沖地震により破損した本堂その他を現在地に移転すると共に、新築した。
 正信寺は、浦河で一番開基が古いといわれる寺であり、今も地元の人々に篤く崇敬されている寺院である。
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