NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/22


大洲神社 Oozu-jinja 

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 伊予の小京都とも呼ばれ、風情ある古い町並みが多く残っているため、テレビドラマのロケ地にも使われることが多い大洲市の、その美しい市街地が一望できる台地に大洲神社はある。
 元徳三(1331)年、大洲城初代城主、宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が築城した際に、城の総鎮守の神として生地より下野国(しもつけのくに)二荒山(ふたあらやま)神社を勧請し、「太郎宮」と名づけた。その後大正三(1914)年に久米神社、恵比須神社と合祀して、「大洲神社」に改称したとされる。祭神は大黒様と恵比寿様である。
 毎年、正月の九日から一一日までの三日間、大祭「えびすまつり」が奉納され、商売繁盛・家内安全・五穀豊饒を祈願する多くの参拝者で賑わう。境内には縁起物の福笹や熊手、枡などの露店が立ち並び、一〇日の「本えびす」には福入り餅まきなどが行われるため特に賑わいをみせる。
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2007/11/15


吉田啓子 Yoshida Keiko Keiko Yoshida

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 浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市のみで販売される縁起物の宝船熊手の製造販売「よし田」(台東区千束)大女将。大正一〇(1921)年生まれ。日本職人名工会認定者。
 「よし田」は現在、昔ながらの手法で宝船熊手を作り続けている唯一の店で、吉田啓子(よしだけいこ)さんは江戸時代から伝わる代々の技法を受け継ぐ職人である。鳶職であった夫が始めた宝船熊手の製造を内職のつもりで手伝ったことが職人となるきっかけ。夫が亡くなって以降は、「よし田」の女将として製造販売を取り仕切ってきた。
 「よし田」の宝船熊手は竹と紙という天然素材だけを使ったもので、竹割り、下絵の型抜き、色つけ、面相(顔描き)、外塗り、刺し込みなどすべて手仕事で行われている。この技法は、現在の女将で長女の吉田京子さんが受け継いでいる。
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宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/8/10


延岡 十日えびす Nobeoka Touka-ebisu Toka Ebisu (January 10 Business Success Festival)

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 九州三大えびす神社の一つ、今山八幡宮の南参道口にある今山恵比須神社の縁日。
 ニ月一〇日は旧暦の一月一〇日にあたるため、新年になって最初の恵比須神の縁日とされる。当日を「本えびす」、前日を「宵えびす」、そして祭りの翌日を「明けえびす」という。「十日えびす」は一〇日と一一日のニ日間行われる。
 境内を「商売繁盛笹持って来い!」という威勢のいい声が飛び交う。縁起物の福笹は「十日えびす」毎に新しいものにすると福栄を招くと言われており、古い福笹を焼き払う「焼納祭(しょうのうさい)」も行なわれる。
 えびす様は商売・漁業・農業の神といわれており、福笹、福かき熊手、招福俵、福幣俵などの縁起物を買い求める参拝者や商売繁盛、航海安全を祈願する参拝客で賑わう。
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2007/4/26


縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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2007/1/29


賽銭箱 Saisen-bako Offering Box

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 お賽銭とは祈願した神様や仏様に、願いの成就に対する感謝として供えるお金であり、古来は米や金銀といった価値のあるものを供えていたものが貨幣経済の発達に伴い、金銭に代わったものである。
 賽銭箱はこれらを受け取るためのもので、室町期に鶴岡八幡宮にお賽銭が散らばらないように集める「散銭櫃」を置いたとされ、これが「賽銭箱」の始まりと言われる。
 その後、江戸時代に伊勢詣でなどの旅が盛んになったことから賽銭箱の風習も全国に広がり、現在のような形となった。
 上部が木枠になった箱が一般的な形だが、深川閻魔堂の19の投入口を持つ賽銭箱や江島神社の辺津宮の巾着型をした賽銭箱など変わった形をしたものもあり、訪れる人を楽しませている。
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2006/12/20


酉の市 TorinoIchi Tori-no-Ichi Fairs (Rooster Fairs)

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 毎年十一月の酉(とり)の日を祭日として、東京浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や各地の鷲神社で執り行なう、一年の無事に感謝し、来る年の幸を願うお祭。お酉様ともいう。
 歴史は江戸時代からで、原型は花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)において、農民が鎮守に感謝する収穫祭であり、鷲大明神に鶏を奉納していた。
 その後、花又村、勝専寺(足立区)と浅草の長國寺の3箇所が酉の市発祥の地として名を知らしめた。
 明和8年(1771年)、長國寺に「妙見大菩薩」が移され、一躍高名な酉の寺として認知される。妙身大菩薩は北斗七星の第七星、破軍星を戴いたものとされており、長國寺の寺紋も「月星紋」「七曜紋」と宇宙(そら)と深い関係を持つ象徴となっている。
 お祭りでは、縁起物として人気の高い「縁起熊手」があり、運を「かっこむ」(かきこむ)福を「はき込む」とされ、開運招福・商売繁盛を願うもので、いかにも「シャレ」を好む江戸っ子らしさが伺える。
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