NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/11/7


掛川祭 kakegawa-matsuri 

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 静岡県掛川市の掛川祭(かけがわまつり)は、余興と屋台曳き回し、そして獅子舞が繰り広げられる祭りで、毎年10月第二週の週末に行われている。
 掛川城下の龍尾神社・神明宮・利神社・池辺神社・津島神社・白山神社・貴船神社の七社四一町合同で行われ、こうした屋台と獅子舞という組み合わせの原型は江戸時代に遡る。
 長唄・端唄・小唄等の手踊りやお囃子に合わせ、二輪屋台(にりんやたい)と呼ばれる御所車型の神輿を曳き廻し、華やかさを競い合う。
 三年に一度の干支の丑、辰、未、戌の年は掛川大祭(おおまつり)にあたり、日本一の大きさを誇る「仁藤の大獅子」をはじめ「西町の奴道中」「瓦町のかんからまち」などの三大余興が披露される。
 中でも伊勢太神楽系の獅子舞である「瓦町のかんからまち」は静岡県の無形文化財にも指定されており、江戸と上方を往来する東海道の中間点であったこの地の歴史の深さを垣間見せ、今も城下町掛川宿の文化と伝統を色濃く残している。
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2008/10/17


北風原 羯鼓舞  Narai-hara Kakkomai 

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 北風原の羯鼓舞(かっこまい)は、千葉県鴨川市北風原(ならいはら)で伝承されている伝統芸能である。
 毎年七月の第四日曜日に、北風原地区の春日神社の例祭として、請雨山(しょううさん)の愛宕神社の獅子神楽と一年交代で奉納されており、どちらも愛宕神社境内で行なわれている。
 その起源は定かではないが、一説には室町時代の天文年間(1532~1554)、安房国主であった里見義実(さとみよしざね)の命により、雨乞いと豊作を祈念して始められたと伝えられている。
 雄獅子と雌獅子、中獅子からなる三匹の獅子が、腹につけた雅楽や能楽用の鼓である羯鼓を軽快な調子で打ちながら舞い踊られる、三匹獅子舞の形態をとっている。
 恵みの雨が降ることを天に託した、農民たちの切なる願いが込められたその舞いは、県の無形民俗文化財にも指定されており、今も保存会の人々により、脈々と受け継がれている。
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2008/10/15


野田 ばっぱか獅子舞 Noda Bappaka-shishimai 

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 ばっぱか獅子舞(ばっぱかししまい)は、千葉県野田市清水にある八幡神社で、毎年の七月二四日に奉納されている古式ゆかしい獅子舞である。
 元禄六(1693)年に、現在の埼玉県にあたる武蔵野国下間久里村から伝えられ、同年に大流行した疫病の厄除けとして村の氏神である清水村八幡神社に奉納されたことにより始まったとされる。
 古くは『子ササラ舞』と呼ばれていたが、舞手の腹につけた太鼓の音が「ばっぱかばっぱか」と聞こえるところから、現在の呼び名になったといわれている。
 昭和十(1935)年に一度途絶えるも、清水地方に伝わる五穀豊穣、厄除けの伝統的な儀式であるとして戦後に復活した。
 獅子舞と棒術、居合術の三つから成り立っており、昔からの形式を残す数少ない、貴重な獅子舞として千葉県の無形民俗文化財に指定され、今もその伝承を精力的に伝え続けている。
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2008/9/10


丹波山 ささら獅子 Tanba-yama Sasara-shishi 

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 ささら獅子は、山梨県の丹波山村の七月の祇園祭で演じられる獅子舞である。
 丹波山村は昔から江戸と甲斐、今の山梨県を結ぶ宿場町であり、 林業の町であった。ささら獅子は350年以上も続く祇園祭で神輿と供に五穀豊饒を祈願して演じられてきたものである。古い書見によると宝暦九(1759)年にはすでに広まっていたと書かれている。
 ささら獅子の構成は、ささらを一対ずつ持った花笠役を四人四方に配置し、その中で太夫(黒毛)・小太夫(茶)・雌獅子(朱)三頭の獅子が舞う角兵衛流である。舞は大刀使いと獅子による白刃の舞が中心である。その舞の後に神輿が宮入する。
 尚、ささらとは田植のときに使っていた竹で出来た道具のことで、獅子舞の時に使われる楽器のことである。
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