NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/21


深緋・黒緋(コキアケ・クロアケ) Kokiake/Kuroake(kokiake/kuroake) 

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 闘争心をかきたてるような燃え盛る赤い色は、戦国武将など、多くの日本人に好まれてきた。朱や茜、紅花、蘇芳など、さまざまな染料を使って少しずつ異なる赤が染め出されるようになると、より鮮やかで濃い赤色が求められるようになった。
 緋色(ヒイロ)は火色とも呼ばれ、濃く明るい黄味がちの赤色・深紅色を表す。緋(ヒ・アケ)という字は、左右に羽がぱっと開くほど目が覚めるような、鮮やかな赤い色の糸や布という意味を持つ。
 緋色から生まれた色名のひとつである「深緋」は、ふかひ・こきひ・こきあけとも呼ばれる古くからある色名である。また同じ色を表す色名には、黒緋(クロアケ)というのもある。
 深緋・黒緋は茜にさらに深みを出すために紫根が加えられた。深緋は、古代の衣服令で四位の色と定められており、それ以外の人には禁色となっていた高貴な色である。
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2008/8/11


韓紅色(カラクレナイイロ) Karakurenaiiro 

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 韓紅色(カラクレナイイロ)とは、日本における伝統的な色名の一つで、紅花の紅色素だけで染めた濃い紅赤を表し、唐紅色とも表記する。
 平安時代以前から色名は存在していたが、平安時代中期に編纂された、格式を定める「延喜式」により定義され、定着した。
 紅花には、黄色い色素と赤色の色素が入っているが、そこから黄色を分離して、純粋な紅色素のみを抽出し、染め上げたものが韓紅と呼ばれた。
 染め上げるには大量の紅花が必要で、一疋(いっぴき)の絹、つまり着物二反分を染めるにあたっては、紅花十斤(約6kg)も使用されたため、当時の庶民たちは着る事を許されない、いわゆる「禁色」(きんじき)であった。
 色名にある韓または唐は、その国から伝わったという意味も含めた、「舶来」のものとしての意味である。
 韓紅とは、隣の大陸がまだまだ未知の遠い大地だった頃に伝わり、故に当時の人々が憧れた、舶来の赤である。
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2008/8/8


緋色(ヒイロ) Hiiro 

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 緋色(ひいろ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 茜の根によって染められた鮮やかな赤の事で、紅花と黄色染料の2種類を使って出来る「紅緋」と区別する為、茜染による標準的な濃さの緋色や紅で染めた黄色をおびた赤い色を「本緋」という。
 元は緋(あけ)、真緋(あけ)といい、明るさを意味する「あか」と同じ意味をもち、また、別名で「あけいろ」とよぶ事もある。
 この色名はかなり古くからあり、飛鳥時代に制定された「冠位十二階」の色の中では、紫に次ぐ第3位の色とされていた。
 火に通じて「火色」とも書き、「思ひ」の「ひ」にかけて「思いの色」とも呼ばれ、熱い情熱をたとえたものともされる。
 英語ではスカーレットを指すとされ、コナン・ドイルの「緋色の研究」など、スカーレットと緋色はしばしば同一視されている。
 緋色は、情熱を表すとも言われる伝統色である。
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2008/7/10


赤絲威鎧 Akaitodoshi-yoroi 

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 赤絲威鎧(あかいとおどしよろい)は、日本の防具である。うち、5つが国宝に指定されている。
 鉄製または皮革製の短冊状の小さな板である小札(こざね)を、色糸やなめし革の紐を用いて縦方向に連結する事を「威す(おどす)」といい、元々は、威とは緒通しからの変遷であると言われている。赤い組紐で威した独特の日本鎧が、赤絲威鎧である。
 現在、そのうちの5つが国宝に指定されており、中でも愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)が所蔵しているものは、源義経が奉納したと伝わっている。
 また、奈良県の春日大社(かすがたいしゃ)には国宝の赤絲威鎧が2つあり、うち1つはやはり源義経が奉納したと伝えられる大鍬型赤糸威竹に虎金物の鎧である。
 他にも、青森県の櫛引八幡宮と東京の御嶽神社に、国宝の赤絲威鎧が納められている。
 赤絲威鎧は、古くから日本で作られてきた伝統の日本鎧である。
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2008/2/21


猩々緋色(ショウジョウヒイロ) Shoujouhi-iro 

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 猩々緋色(しょうじょうひいろ)は日本古来の伝統色のひとつで、極めて鮮やかな赤色のことである。染料の原材料はケルメスという昆虫であったが、その後ケルメスより更に色の強いコチニールカイガラムシが使われるようになったといわれている。
 「猩々」とはオランウータンの和名でもあるが、元々は中国の伝説上の動物を指すといわれている。猩々は猿に似た、酒を好む動物で、顔だけでなく体毛も赤いと言われている。日本では猩々が能の演目としても定着しており、歌舞伎や日本舞踊でも演じられている。猩々緋色はその猩々の鮮明な赤い色に由来している。
 戦国時代の武将に大変好まれた色といわれており、南蛮船で猩々緋色に染められた、羅紗(らしゃ)という毛織物が輸入されるようになると、裾の長い羽織物として好んで着用したといわれている。
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2008/2/7


水の平焼 Mizunodaira-yaki 

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 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、水の平焼(みずのだいらやき)はこれらを代表する陶器の一つ。
 水の平焼は、江戸時代末期の明和二(1765)年、山仁田窯を受け継いだ岡部常兵衛によって創業され、地名にちなんで命名された。三代目弥四郎が内国勧業博覧会に出品し受賞すると、水の平焼は一躍その名を全国にとどろかせることになる。五代目源四郎が釉薬(ゆうやく)を研究し、独特の海鼠色(なまこいろ)を完成させたことにより、ほかには真似のできないオリジナリティあふれる陶器として、その地位を確立した。
 代表的な青色や赤色の絵模様を描き出すため、土を掘って粘土を作り、釉薬の原料となる稲藁を焼くなど、先代が築き上げてきた技法を今も大切に守り続けている。
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おばけの金太 Obake-no-kinta Obake no Kinta

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 「おばけの金太(きんた)」は、熊本県熊本市に伝わる郷土玩具である。
 からくり人形の頭だけの張り子玩具で、頭の後ろにある紐を引くと、どんぐり目玉がひっくり返って「あかんべぇ」と舌を出すのが大きな特徴である。頭の中に竹ばねが入っていて、紐を引くと舌と目が一緒に動くようになっている。真っ赤な顔に黒い烏帽子をかぶった姿は強烈な印象があり、子どもには怖がられているが、大人には人気のある玩具で知られている。
 加藤清正が熊本城を築城したとき、顔だちが面白く、人を笑わせることが上手な「おどけの金太」と呼ばれていた足軽の金太という人気者がいた。嘉永年間(1848~1853)、金太の伝説をもとに人形師である西陣屋彦七(にしじんやひこしち)がからくり人形を作りだしたのがはじまりといわれ、その後「おばけの金太」を別名「目くり出し人形」と呼ぶようにもなった。
 このからくり人形は、仕掛けとなる竹ばね作りが出来上がりを左右するといわれている。
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2008/1/15


織部釉 Oribeyuu 

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 戦国武将・古田重然(ふるたしげてる)は、徳川家に仕えた武将でありながら優れた茶人として「古田織部(ふるたおりべ)」という名前で知られ、茶器製作をも手掛けたという。その織部が美濃窯で焼かせた斬新で個性的な作品は、織部の名前に因んで「織部焼」と名づけられた。
 織部焼には赤、黒、青などがあるが、青織部に施されている釉薬(ゆうやく)は、織部の名前に由来して織部釉と名づけられ、織部焼の代表的なものとされている。
 織部釉は高火度釉に分類される緑銅釉で、一二〇〇度以上の温度で溶けて酸化焼成によって緑色になるという。
 「織部好み」という流行をもたらしたと伝えられている、斬新で奇抜ともいえる形や色使いは、桃山時代の人々を大いに魅了したといわれている。
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