NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/15


座布団 Zabuton 

Jp

 座布団(ざぶとん)は、床や畳の上に座る際に体の下に敷く調度品のことである。
 厚さ数cm程、一辺数十cm程でほぼ正方形をしており、基本的には、その上に座る事で体温が床面より奪われるのを防ぐために用いられ、いわゆるクッションとしての役目は本来、担っていない。
 鎌倉時代ごろに生み出され、当時は小さな正方形の薄畳の周辺を飾り布で覆った物であった。
 その後、様々な改良が施され、江戸時代中期には現在のように布の袋に綿などの緩衝材を入れる形となって庶民にも広く普及したとされ、板の間や畳敷きが多く、そこに直接座る文化を持つ日本独特のものともいえる。
 大きさによって茶席判や木綿判、銘仙判、八端判、緞子判、夫婦判など様々な種類があり、一般に最も広く流通しているのは銘仙判と八端判といわれている。
 生み出されてから長い歴史を持ち、その作法なども細々あるものではあるが、座る者に快適さとくつろぎを与えてくれる、まさに縁の下の力持ちである。
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2007/11/8


弓浜絣 Yumihama-gasuri 

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 弓浜絣(ゆみはまがすり)は、鳥取県西部の弓ヶ浜地方に伝わる綿織物で、主な製品に着物地、座布団、のれん、袋物などがある。昭和五〇(1975)年九月、通商産業大臣(現経済産業大臣)より伝統的工芸品の指定を受けた。
 弓ヶ浜半島で弓浜絣の原料となる綿花の栽培が始められたのは江戸時代前期。この半島は「浜の目」と呼ばれ、そこで産出する綿は自家用衣料として綿布に織られていた。その後、藍玉問屋が設けられたことをきっかけに、江戸時代後期には藍の栽培が進められ、米子や弓ヶ浜あたりで「浜の目絣」「浜絣」と呼ぶ絵絣が、農家の婦女子の手によって織られるようになった。明治時代中期に全盛を迎えるが、洋式紡織業の発達に押され衰退。現在は少数の伝統工芸士らによって技術・技法が継承されており、民芸的なあたたかい味わいのある綿織物として異彩を放っている。
 弓浜絣は長年の使用にも耐え、吸湿・保温性に富み、日本の気候風土によく合う。パターン化された柄は線の表情が豊かで、情緒がある。
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2007/10/15


【仁】 Nin,Jin Humaneness, Benevolence

Jp En

 昔から、中国・越南(現在のベトナム)・韓国・日本などに、広く伝わる東洋思想の代表的な倫理概念です。それは孔子の教えや儒教が広がったからです。この字がまったくの抽象的な概念になる前の経緯が気になります。確かに孔子の時代にはすでに漢字の原点についての詳しい知識が失われていたので、そういう意味では操作・利用しやすい字でもありました。
 「にんべんと二という数字の組み合わせではないか」という俗説がよく聞かれます。「二人の間」から「人間の間の倫理」という意味にまで抽象化され、仁義礼智信という儒教の根本概念の一つになったという説があります。確かに、旧字体はにんべんですが、右の部分の解釈が大事になってきます。
 実は漢字の中に数字がそのままの意味で要素として表現されることはありません。旧字体でない常用漢字の字形に見えても、抽象的なものが漢字の中の要素として表現されるという考えは俗説の特徴です。
 例えば、「悟」に出てくる「五」の部分も数字とは関係がなく、その下の「口」が表す祝詞の器をしっかりと閉めている木製の二重蓋を表しています。また人間二人を示すのには「比」という字などがほかにあります。
 基本的に漢字に出てくる要素は人・物です。古代社会にあったものですから、にんべんの形は人間が座ろうとする時の姿、そして右の部分はその敷物だと考えられます。東洋なので、椅子ではなく、敷物・古代の座布団のようなものです。そのことから仁という抽象倫理概念までのちょっと違う道筋があきらかになります。つまり人に敷物をすすめるという心です。
 まさにホスピタリティー、お客さん・たずねびとへの配慮のような心構えではないでしょうか。本来はそういう温かい気持ちをあらわす概念なのです。
 
■ 仁・金文(きんぶん)
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2007/3/7


円座石 Warouda-ishi 

Jp

 円座石(わろうだいし)は熊野古道、大雲取越えの終着点、熊野川町小口手前に位置する巨石である。
 大雲取越えは全長16キロの西国三十三所観音巡礼の参道であり、熊野川町小口から1キロほど戻った場所に安置された苔むした巨石が円座石である。
 円座とは円形の座布団のことであり、この石の上で熊野三山の神々が座して談笑し、茶を楽しんだという伝説に由来する。
 表面には3文字の梵字が刻まれ、それぞれが熊野三山の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を指す。
 峻厳な参道の難所で、参拝する人々を見守り続けた緑の巨石は、往古より変わることの無い姿で今も佇んでいる。
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2006/11/29


子規堂 Siki-dou Shiki-do

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 子規堂は愛媛県松山市にある、松山出身の俳聖正岡子規にちなむ観光施設である。子規が17歳まで過ごした生家の一部である8畳の書院を正宗寺の境内に復元したものだ。
 内部には子規の子ども時代の勉強部屋を再現したコーナーがあり、彼が愛用した簡素な文机や座布団、筆などが当時の面影そのままに陳列されている。また、遺墨、写真、文献などの貴重な資料が数多く展示されており、文学資料館の役割も果たす。
 境内には高浜虚子、内藤鳴雪ゆかりの碑、漱石が小説の中で「マッチ箱のような汽車」と称した通称「坊ちゃん列車」の客車などもあり、俳都松山独特の情緒ある雰囲気に浸ることができる。
 子規堂は、昭和23年に愛媛県指定の史跡に認定された。
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