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2007/11/13


切妻造 Kirizuma-zukuri The Kirizuma-zukuri Style

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 切妻造(きりづまづくり)とは、切妻屋根を用いた日本の伝統的な建築様式の事である。
 日本の木造住宅の屋根は、切妻造、寄棟造、入母屋造の3種類を基本とする。
 切妻造は、屋根の頂上部である棟から左右にくだる2つの屋根面で構成される。屋根が外壁面とまじわる部分にできる三角形を妻とよび、妻のある側面からみると、屋根を妻で切ったようにみえるので、切妻造の名がある。
 古墳時代には、切妻造の屋根が豪族居館を象徴した。
 しかし、奈良時代に中国から伝来した木造建築では、正面からみたとき、横方向への屋根の広がりが認識できる寄棟造の方が、格式が上とされていた。
 やがて、屋根の妻をみせる切妻造の象徴性と、寄棟造の正面形式の両方を兼備した入母屋造が、宮殿や貴族住宅、寺院において一番好まれるようになっていく。
 切妻造は、日本の古代建築の基本といえる木造建築様式である。
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2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

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 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
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2007/11/8


東京無地染 Toukyou-mujizome 

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 東京無地染(とうきょうむじぞめ)は、古くから武蔵野国で生産されてきた染織物である。
 無地染とは、白い布地を一色の無地に染め上げる事で、古くは縄文時代から行われていた、染織物の中でも基本的なものだ。
 奈良時代になると、仏教の伝来と共に藍や紅花が渡来し、大きく発展を遂げ、鎌倉時代に入ると草木染や鉄媒染(てつばいせん)など技術も進展を遂げ、今につながっている。
 その中でも東京無地染は、武蔵野に自生した紫草の根から取れる染料を使用して染め上げたもののことを称し、江戸染めまたは江戸紫ともいわれていた。
 当時、上方きっての名歌舞伎役者であった市川団十郎演じる助六愛用の鉢巻ということもあり、庶民に大いにもてはやされることとなる。
 現在では東京都の伝統工芸品にも指定されており、古来よりの伝統を重んじながら、客の要望に沿って様々な色を生み出し、今も人々に愛される逸品を染め上げ続けている。
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/10/15


【仁】 Nin,Jin Humaneness, Benevolence

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 昔から、中国・越南(現在のベトナム)・韓国・日本などに、広く伝わる東洋思想の代表的な倫理概念です。それは孔子の教えや儒教が広がったからです。この字がまったくの抽象的な概念になる前の経緯が気になります。確かに孔子の時代にはすでに漢字の原点についての詳しい知識が失われていたので、そういう意味では操作・利用しやすい字でもありました。
 「にんべんと二という数字の組み合わせではないか」という俗説がよく聞かれます。「二人の間」から「人間の間の倫理」という意味にまで抽象化され、仁義礼智信という儒教の根本概念の一つになったという説があります。確かに、旧字体はにんべんですが、右の部分の解釈が大事になってきます。
 実は漢字の中に数字がそのままの意味で要素として表現されることはありません。旧字体でない常用漢字の字形に見えても、抽象的なものが漢字の中の要素として表現されるという考えは俗説の特徴です。
 例えば、「悟」に出てくる「五」の部分も数字とは関係がなく、その下の「口」が表す祝詞の器をしっかりと閉めている木製の二重蓋を表しています。また人間二人を示すのには「比」という字などがほかにあります。
 基本的に漢字に出てくる要素は人・物です。古代社会にあったものですから、にんべんの形は人間が座ろうとする時の姿、そして右の部分はその敷物だと考えられます。東洋なので、椅子ではなく、敷物・古代の座布団のようなものです。そのことから仁という抽象倫理概念までのちょっと違う道筋があきらかになります。つまり人に敷物をすすめるという心です。
 まさにホスピタリティー、お客さん・たずねびとへの配慮のような心構えではないでしょうか。本来はそういう温かい気持ちをあらわす概念なのです。
 
■ 仁・金文(きんぶん)
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2007/9/28


叡福寺 Eifukuji Eifukuji Temple

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 叡福寺は「聖徳太子」の墓所となる古墳があることで有名。聖徳太子の和の道を基本にした「新西国三十三ヶ所霊場」のひとつである。
 聖徳太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の霊を鎮める理由で神亀元年(724年)に建てられた。
 戦国時代、織田信長の焼き討ちにより全焼。その後豊臣秀頼が聖霊堂再建に着手した。
 石段を上ると、南大門が見える。門をくぐり、左手には宝搭、金堂、聖霊殿がある。さらに奥へと向かうと太子廟が見えてくる。
建物内にある「聖霊殿」は重要文化財に指定されており、中に祀られている本尊は聖徳太子が十六歳の時の等身像とされている。この像は宮中にあったものを文治3年(1187年)に後鳥羽天皇により下賜されたものであるという。
 周辺には「聖徳太子ゆかりの地」が点在しており、太子守護の歴史を深さを感じる場所である。
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2007/9/10


霧島九面太鼓 Kirishima-kumen-daiko 

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 霧島九面太鼓(きりしまくめんだいこ)は、鹿児島県霧島市にて行われる伝統芸能である。
 霧島市には霧島連峰があり、その中の高千穂峰には天孫降臨の神話が伝わる。
 昭和四七(1972)年、霧島九面太鼓は霧島温泉商工会青年部の若者たちによって創作された。
 霧島神宮に宝物として保存されていた九人の神様の面と云われる天狗面を使い、天孫降臨の神話にちなんで天降りの打法、演舞など基本的な所作を振り付け、演奏したのである。
 元旦の午前0時からと2月11日、霧島神宮本殿前で霧島の神話をモチーフにした曲を熱演する。
 また、国内各地の有名な太鼓を招いての霧島高原太鼓まつりは夏の催事として定着し、毎年各地から訪れるたくさんの聴衆を魅了している。
 霧島九面太鼓は、太鼓の音も神秘的な郷土芸能である。
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2007/9/6


木工芸 Moku-kougei 

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 木工芸は、豊富な樹種に恵まれた日本における、まさしく基本的かつ重要な工芸の一つである。
 鉄製工具の普及や、大陸からの技術者の渡来によって発展を遂げ、日本特有の素材を生かした技術の進展、近代においては木工芸の各分野に名匠も現れ、日本における工芸の重要な部分を担うようになった。
 特に、箪笥などの家具や調度品を「指物」(さしもの)というが、そうした生活に密着したものの製作技法が最も多用され、それに伴って様々な発展を遂げていくこととなる。
 それでも、正倉院に残る木工品は、技術的成熟や製作環境の発展がなされた現代の木工芸においても大きな影響を与えるほどであり、木工芸の歴史と奥の深さを物語っている。
 とはいえ、木工芸品の多くは普段の暮らしの中に溶け込み、そうした中で愛着の心や、本物の味を感じさせてくれるものである。
 二度目の命を吹き込まれた逸品は、私達の生活に彩と温もりを与えてくれている。
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