NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/14


陸奥国分寺 Mutsu-kokubun-ji 

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 陸奥国分寺は天平一三(741)年、聖武天皇の詔(みことのり)によって、国家鎮護と人々の無病息災を願い、全国に建てられた国分寺の一つで、国分寺では最北に位置する。古来よりこの辺りは、宮城野と呼ばれていて、古今集に「宮城野の
 木荒の小萩 露をおもみ 風をまつごと 君をこそ待て」と詠まれた様に、宮城野萩の名でも知られている。
 現在、周辺は史跡公園になっており、約3万坪の境内には陸奥国分寺跡をはじめ、伊達政宗が建立した薬師堂、仁王門などがある。そして心字ケ池畔には、松尾芭蕉の詠んだ「あやめ草
 足に結ん草
 鞋の緒」の句碑や大淀三千風の句碑がある他、江戸時代の力士で、横綱の谷風ゆかりの牛石、谷風誉れの足型など、句碑や石仏が多数点在している。天平の古から江戸までの、歴史を感じながら散歩を楽しめる場所である。
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2007/5/1


吉祥院天満宮 Kissyouin-tenmanguu 

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 京都府京都市南区にある神社。御祭神は菅原道真公と吉祥天女。
 菅原道真が亡くなって三十一年目の承平(じょうへい)四(934)年、道真誕生の地に、朱雀天皇の勅命によって創建された。
 道真の祖父清公卿は遣唐使の命を桓武天皇から受けて、渡航したが船中において暴風雨に遭遇。なんとか無事に入唐するが、そのおり吉祥天女の霊を見たことから、神の御加護があったと考え、帰国後、自邸内に吉祥天女の尊像を祀った。「吉祥院」の名はここからきている。
 境内の「胞衣の塚」(えなのづか)は、道真のへその緒を生めたところといわれ、道真はここで誕生し幼少時代をすごした。
 道真の幼少時に手習いに使ったという「硯之水」は吉祥天満宮の東に近年まで豊富に湧き出ていたが、その後枯れてしまったため、境内に井戸を掘り再び「硯之水」が蘇っている。
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2007/1/18


胎毛筆 Taimou-hude Taimo Brushes

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 「胎毛筆」(たいもうふで)は「赤ちゃん筆」とも言われ、昔から一度も散髪していない毛先のある頭髪(産毛)を、一生に一度しか取れない事から、筆に加工し頭脳明晰、達筆、健やかな成長を祈願し「生涯のお守り」として、また「一生の宝物」として作られ、誕生記念にしていた。
 最近では、へその緒の代わりに成人式や結婚式の時に贈られるケースも増えていて、親から子への愛情が込められた、世界でたった一つの思い出の品として作られている。
 筆は、書道用品店や床屋が仲介したり、筆屋に直接頼んで作ってもらえる。
 製作に必要な毛量は5〜6センチの長さで、大人の小指くらいの太さがあれば立派な筆になり、クセ毛でも「火のし」という工程でクセを取るので大丈夫。
 グローバルな意味で考えると、茶色はもちろんの事、金色の筆というのも出来るんだなぁと思う。
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2007/1/5


京くみひも Kyokumihimo Kyo Braiding

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 京都に古代から伝わる「京くみひも」。糸を組み上げて作る伝統工芸品だ。1本1本の紐が綾なすその上品で優美な美しさは、世界に類ない独自の芸術品だ。
 古代の縄文時代には簡単なくみひもが用いられていたと記録に残る。その後、奈良時代に中国から技術が伝えられ、高度で複雑な工芸くみひもが発達。平安・鎌倉時代になると、意匠はさらに優美なものになり、独自の美しさを築き上げる。主に服飾を飾る平緒や袖括りの緒、冠の緒などに用いられ、天皇や貴族、武士などに愛用された。江戸時代には庶民にも広がり、羽織紐、組紐など様々な技巧を凝らすようになり現代では主に和装小物として用いられている。
 基本的な組み方だけで約40種類、模様などのバリエーションを含めると3千種類以上あるのだとか。その工程はすべて手作業で、1本のくみひもを組むために、丸々一日かかることもあるという。
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