|
最澄(さいちょう)は平安時代初期の僧。日本天台宗の開祖。
天平神護二(767)年、近江国(滋賀県)の生まれ。中国からの渡来人・三津首(みつのおびと)の子孫で、幼名は広野といい、14歳で近江国・国分寺に出家し、名を最澄とした。
19歳の頃、東大寺で正式の僧となるが、 官寺仏教に疑問を持ち、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を建立し、そこに籠もり修行した。開眼し下山するまで約12年を要し、それが「12年籠山」という修行規則として制度化されている。
延暦二三(804)年に唐に渡り、円・密・禅・戒という四宗を学んだ。帰国後、桓武天皇の支持を受けて天台宗を創設した。『山家学生式』『顕戒論』『内証仏法血脈譜』などを記している。
弘仁一三(822)年に比叡山の中道院で没。没後44年目に日本で最初の伝教大師の称号が与えられた。
天平神護二(767)年、近江国(滋賀県)の生まれ。中国からの渡来人・三津首(みつのおびと)の子孫で、幼名は広野といい、14歳で近江国・国分寺に出家し、名を最澄とした。
19歳の頃、東大寺で正式の僧となるが、 官寺仏教に疑問を持ち、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を建立し、そこに籠もり修行した。開眼し下山するまで約12年を要し、それが「12年籠山」という修行規則として制度化されている。
延暦二三(804)年に唐に渡り、円・密・禅・戒という四宗を学んだ。帰国後、桓武天皇の支持を受けて天台宗を創設した。『山家学生式』『顕戒論』『内証仏法血脈譜』などを記している。
弘仁一三(822)年に比叡山の中道院で没。没後44年目に日本で最初の伝教大師の称号が与えられた。
[+ADDRESS] |