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2008/8/14


琉球民謡 Ryukyuminyou 

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 琉球民謡(りゅうきゅうみんよう)は、沖縄県に伝わる伝統の音楽である。
 元々、琉球の古典音楽は、王朝時代の上流階級の教養人によって創造されたもので、琉球舞踊や組踊と結び付いて発展した。
 琉球民謡はいつどのような形で誕生したかは不明だが、謡そのものは古い時代から各地域で謡われていたと考えられている。
 その最大の特徴は琉球音階で、ドレミの音階のうち、レとラを抜くのが大きな違いとなっている。
 今日でも民謡は祝事や行事の際には欠せないものとして歌い踊られているが、沖縄で実際に聴きたい時は、民謡酒場に行けば、生で本格的なものを聴く事ができるという。そこでは、泡盛を片手にステージの民謡を味わえる。
 なお最近では、沖縄民謡のことを島唄と呼称される事があるが、島唄は本来奄美民謡の呼称であるため、琉球民謡とは別であるとも言われている。
 琉球民謡。その響きはどこか懐かしく、県外の人々の間にも人気のある郷土芸能である。
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2008/3/10


浄瑠璃 Joururi 

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 浄瑠璃(じょうるり)は、日本の伝統的な音楽の一つで、三味線の伴奏に乗せて太夫(だゆう)が詞章を語るもの。これに人形芝居が加われば人形浄瑠璃となる。詞章が単なる歌ではなく、劇中人物の台詞や仕草までを含み物語のように聞こえることから、浄瑠璃は一般的に「語り物」と呼ばれる。
 室町時代に登場した浄瑠璃御前と牛若丸の恋物語「浄瑠璃十二段草子」が大流行したのをきっかけに、他の物語も同じ節回しで語られるようになり、それらをまとめて浄瑠璃と称するようになった。
 江戸時代になると浄瑠璃は多くの流派に分かれ、広く世間に受入れられて行った。そして貞享元(1684)年、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が大坂道頓堀に竹本座を開設して「義太夫節」を確立すると、名作者の近松門左衛門と組んだこの新しい様式は熱狂的な支持を受け、義太夫節がそれ以前の古浄瑠璃に取って代わるようになった。
 現在、浄瑠璃音楽として残っているのものに、義太夫節、常磐津節、清元節、河東節、一中節、宮薗節、新内節、富本節がある。
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2007/8/1


上町法印神楽 Kanmachi-houin-kagura Kanmachi Houin Kagura

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 上町法印神楽(かみまちほういんかぐら)は、宮城県登米市豊里町の稲荷神社例祭「まめからさん祭り」にて、毎年10月第2日曜日に行われている神楽である。県の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 江戸時代に、登米郡内の修験者である法印が神楽組を組織し、開墾完成と五穀豊穣を祈って祭礼等で舞ったのが始まりとされる。
 明治中期以降は神社の氏子等が引き継ぎ、伝承された。
 まめから祭りでは、舞台上での身体潔めの後、岩戸開き・道祖・魔王・産屋などの上町法印神楽が8時間にわたって奉納され、その後湯立て神事が厳かに行われる。
 その伝統的で見事な神楽に、観客からは歓声と大きな拍手が巻き起こる。
 上町法印神楽は、地元ではまめから明神と言われ、親しまれている稲荷神社の神事である。
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