NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


琵琶湖 Biwa-ko Lake Biwa

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 約400万年前に出来た琵琶湖は、バイカル湖、タンガニィカ湖に次いで3番目に古く、世界でも10箇所程しか確認されていない「古代湖」の一つ。日本最大の面積を誇る湖でもある。
 室町時代に関白近衛政家が中国の洞庭湖の瀟湘八景にならって選んだ「近江八景」が、広重の時代から有名だが、残念ながら現在では、その趣はほとんど残っていない。
しかし、1950年に制定された「琵琶湖八景」は、現在もほぼ変わらぬ姿を見せてくれる。
暁霧 梅津大崎の岩礁(高島市)
涼風 雄松崎の白汀(大津市)
煙雨 比叡の樹林(大津市)
夕陽 瀬田・石山の清流(大津市)
新雪 賤ヶ岳の大観(木之本町)
深緑 竹生島の沈影(長浜市)
月明 彦根の古城(彦根市)
春色 安土・八幡の水郷(安土町・近江八幡市)
 この様な景勝地をまわって壮大な情景に心を洗われたり、歴史の散策で城下町を歩いて文献を広げるという楽しみ方が琵琶湖にはある。
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2007/4/27


土佐硯 Tosa-suzuri 

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 約500年前、応仁の乱の頃、戦火を逃れ土佐に下った関白・一条教房公はのちに土佐の領主となった。
 文才があり、能書家でもあった一条公はこの地で良質の硯石を見つけだし、永く愛用したと伝えられる硯が土佐硯(とさすずり)である。
 昭和41年に、高知の書家である新谷健吉氏によって硯石が再発見され、以来硯の制作が始まり、三原村の特産品の一つとなっている。
 人肌に触れるようなしっとりとなじむ手触りと造形美はもちろんのこと、墨の色、艶が美しいことでも知られている。 
 かの有名な中国名硯の端溪硯(たんけいすずり)にも劣らぬ日本一の硯であり、別名「土佐溪硯」とも言わしめ、全国愛硯家に評されている。
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2007/4/20


平等院(世界遺産) Byoudouin(Sekai-isan) 

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 平等院は、京都府宇治市宇治蓮華にある単立寺院である。本尊は阿弥陀如来像とされる。
 永承7(1052)年、関白藤原道長の子頼通が、藤原家の別荘を仏寺に改め、平等院とした。
 永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえていた年である。
 その翌年には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成し、堂内には、平安時代の最高の仏師・定朝によって作成された丈六の阿弥陀如来坐像が安置された。
 平等院には11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝える古都京都の文化財が多くあり、世界遺産にも登録されている。
 現在の平等院には宗派はなく、浄土宗と天台宗の2つの寺院により共同で管理されている。
 平等院は、10円硬貨や1万円札にもデザインされた、人々に親しまれている古刹である。
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2007/4/5


土佐の小京都 Tosanokokyoto 

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 土佐の小京都と呼ばれる(旧)中村市(四万十市)は、悠々と流れる四万十川とともに発展してきた。
 中村(四万十市)は中世の時代に、前関白一条教房公が下向し、京都に模したまちづくりを行ったとされ、このことが「土佐の小京都」と呼ばれる所以である。
 昭和21年の南海大地震のため、昔ながらの街並みはほとんど残されていないが、現在でも碁盤の目状の区画と「東山」、「鴨川」などの地名や伝統行事に当時の名残を留めている。
 また、周囲には、太平洋の黒潮に洗われる足摺岬や国内最後の清流四万十川など、雄大で豊かな自然が満ちており、わが国最初の国際人といわれるジョン万次郎をはじめ多くの立志伝中の人物を輩出している地でもある。雅やかな情緒と奥ゆかしい風情を今に伝える古都である。
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高知 大文字の送り火 Kouchi Daimonji-no-okuribi 

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 「土佐の小京都」と呼ばれる旧中村市。その夏を締めくくる風物詩が、毎年旧暦七月十六日に行われる「大文字の送り火」。
 応仁の乱を避け、土佐へ下向し中村に京都さながらの町を築いた前関白の一条教房。この送り火はその息子である房家が、京都を懐かしみ、父と祖父・兼良の霊を慰める意味も込めて始めたとされている。
 山の斜面には縦横25メートルの大きさの「大」の字形の溝が掘られ、当番の住民が周囲の雑草を刈り、たいまつを配置。花火を合図に点火されると、炎が山肌をなぞり、「大の字」が、筆順の通りに浮かび上がる。
 真っ赤な炎が夜空一面を彩り、およそ30分間の炎の宴に大勢の見物客は過ぎゆく夏を惜しみつつも、一時の熱気に酔いしれる。
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不破八幡宮大祭 Fuwahachimanguu-taisai 

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 男神、女神の両みこしによる「神様の結婚式」で知られるお祭。小京都・中村の礎を築いた前関白・一条教房が、当時横行していた略奪結婚を戒め、結婚の神聖さを示すために始めたと伝えられる。
 夏、不破八幡宮にある男神みこしは結婚式に備えて四万十川で清められる。一方、不破八幡宮から見て、四万十川対岸に位置する一宮神社には「椎名御前」「徳益御前」「鉾名御前」の3体の女神がおり、結婚前日の「宵宮」に、くじ引きで花嫁を決めるのが習わし。
 大祭当日、女神みこしは川舟に乗って八幡宮前の祭場に到着し「御旅」で市街地を練り歩いている男神みこしの到着を待つ。
 両みこしがそろったところで「輿合わせ」の儀式。男衆に担がれた男神みこしが女神みこしの周囲を回る「角回し」が行われた後、みこしの担ぎ棒先端を3度、激しくぶつけ合い、めでたく婚姻が成立する。
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2007/1/29


三大神社の藤 Sandaijinjya-no-fuji Wisteria of Sandai Shrine

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 三大神社は、滋賀県草津市志那町にある神社で、名物の藤が有名である。祭神は志那津彦命、志那津姫命。
 藤は、毎年4月から5月にかけて穂が地面に擦るほど長くなる事から「砂擦りの藤」と呼ばれる。
 もともとこの藤は、摂政・関白であった藤原氏の隆盛を祈念して植樹されたものだが、織田信長の兵火により消失。その後、根元から芽生え、今日に至っている。
 また、この季節に開催される藤まつりでは、期間中に、地元や草津市観光物産協会などによる物産展が開かれている。
 近隣の志那神社(草津市志那町)と惣社神社(草津市志那町)にも境内に藤があることから、三大神社とあわせて志那三郷の藤とも呼ばれている。
 三大神社の藤は、しなやかで長大、まことに風流な光景である。
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2007/1/19


人間将棋 Ningen-syougi Shogi with Human 'Pieces'

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 山形県天童市舞鶴山山頂で毎年春に行なわれる「天童桜まつり」でのイベント。
 将棋と深いゆかりの地天童市では、全国の将棋駒の95%を生産する。
 その昔、豊臣秀吉が関白秀次を相手に、桜満開の伏見城で、小姓と腰元を将棋駒に見立てて、将棋野試合を楽しんだという故事にならい現在でも伝承している。
 その駒となる人たちは、鎧甲冑を身に付け、自分がどの駒であるかわかるよう、駒の絵を描いた旗じるしを付け堂々としたものである。
 毎年、桜の季節には、2000本の桜の花が咲く舞鶴山で開催される。桜吹雪の中、華麗な戦国絵巻とプロ騎士による対局が将棋ファンには大変人気がある。
 華麗で勇壮なイベントであり、大勢の市民や観光客を魅了している。
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