NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/29


掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/4/13


石川 銅鑼 Ishikawa dora Ishikawa Bronze Gong

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 銅鑼(どら)は、石川県に古くから伝わり、四百年もの歴史を持つ伝統工芸である。
 銅鑼は古代ジャワ、スマトラの南方民族の打楽器にはじまり、中国、朝鮮を経て日本に伝来したものとされている。
 日本では出船の合図や茶の湯で使われ、石川県の金沢では安土桃山時代の茶の湯の流行に伴い、製作されるようになった。
 金沢の地で銅鑼の製作に打ち込んだのは人間国宝の魚住為楽氏であった。彼は仏具の中の砂張(さはり)の鈴の鋳造方法にヒントを得て銅鑼製作を始め、その音響は絶賛の対象となったという。
 銅鑼は他の工芸品とは異なり、音色を生命とする楽器。魚住為楽氏の造る銅鑼は、余韻を残して響くその音色が絶妙で素晴らしい。材料の砂張は、金属鋳物の中で最も鋳造が難しいと言われる鋼と錫の合金で、配合のバランスが音響の質の決め手となる。現在では、三代目魚住為楽氏がその技を継承しているという。
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2007/3/29


秀衡塗 Hidehira-nuri 

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 秀衡塗は岩手県盛岡地方特産の漆器である。
 平安時代、奥州藤原氏三代目、秀衡が中尊寺金色堂の造営、増築の際に職人に命じて作らせたのが始まりと伝わる。
 藤原氏滅亡の後は明らかではないが、江戸時代後期には衣川村周辺に漆器職人の村が形成され、現在に受け継がれた。国の伝統工芸品の指定を受けている。
 漆器に雲形、ひし形などの金箔のデザイン加工を施すもので、椀、盆、皿、鉢、重箱、花器など多岐に渡る。
 椀の大振りなものは「秀衡椀」と呼ばれ、吉祥の加工を追加した雅やかなもので、素朴ながらも美しい工芸品として人気がある。
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2007/1/23


生地中橋 Ikuji-nakabashi Ikuji-naka Bridge

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 富山県の黒部漁港に架かる、日本初の方持式旋回橋である「生地中橋(いくじなかばし)」。
 現在の生地中橋はじつは四代目。初代は大正年間に建設。二代目は昭和初期に、三代目は昭和30年代に架設されたものだ。三代目は昇降式可動橋として造られたが、施設の老朽化に加え、漁船の大型化に対応するために航路の拡張計画に合わせて架替を行い、昭和56年に完成したのが現在の方持式旋回橋である。
 橋の大きさは長さ38.4メートル、幅7メートル。漁船通過時には、重さ307トンもの橋が片側を基点に78度回転して漁船を通す。多いときには一日に15〜20回稼動することもあるという。
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2007/1/18


森口華弘 Moriguchi Kakou Kakou Moriguchi

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 明治42年滋賀県守山市生まれ。大正10年、薬剤師をめざし夜学で薬の勉強に励み、大正13年に三代目友禅師・中川華邨(かそん)の門に入り、四条派の画家・疋田芳沼(ひきたほうしょう)に就いて日本画を学ぶ。
 昭和14年に独立し工房をもつまで、華邨の工房で友禅の研究と修行に精励。その後、江戸時代から伝わる撒糊(まきのり)技法を、漆芸の蒔絵(まきえ)技法と組み合わせて森口流の「蒔糊(まきのり)」の技術を創成。京都の伝統的な友禅染の品格を保ちつつ、現代感覚に優れたデザインも取り入れ、独自の友禅の世界を広げた。
 昭和30年、第2回日本伝統工芸展に蒔糊を施した友禅着物「おしどり」「早春」「松」を出品し、すべて入選。第3回日本伝統工芸展で友禅着物「薫」が文化財保護委員会委員長賞を受賞、翌年から同展鑑査員に就任。
 昭和42年、57歳の若さで、国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
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2007/1/17


瑞龍寺 Zuiryuji Zuiryu-ji Temple

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 端龍寺(ずいりゅうじ)は富山県高岡市に位置し、江戸初期の禅宗寺院建築として高い評価を得ている寺だ。回廊式禅宗伽藍は全国一、と誉れ高い。
 加賀二代藩主前田利長の菩提を弔うために、三代藩主利常により建立された。17世紀、利長は当時「開野」と呼ばれていた荒野に城を築き、近郊より町人、商人を集めて町立てをし、職人を呼び寄せるなどして一代で百二十万石の財力を築き上げた。
 利長の義弟、加賀藩三代目藩主の利常は百二十万石を譲り受けたことに恩義を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備した端龍寺を開山したのだった。
 約20年もの月日をかけて造営、壮大な伽藍は豪壮にして典雅な美しさを持ち、見る者を圧倒する。現在では仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶道が重要文化財に指定されている。
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2006/12/18


吉田美統 (人間国宝) Yoshida Minori(Ningen-kokuhou) Minori Yoshida, a Living National Treasure

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 1932年石川県は小松市、九谷焼の赤絵金襴手を得意とする窯元、錦山窯に生まれる。
 高等学校在学中より陶芸技法を学び始め、1951年には家業の錦山窯三代目を継ぎ伝統的な上絵付けや金襴手の技法を深め、工芸デザインの習得に努めた。
 1972年、人間国宝・加藤土師萌の釉裏金彩の作品に触発され、器胎に金箔や金泥などを用いて文様を描き、その上から釉薬をほどこして焼成する釉裏金彩の技法による作品製作に取り掛かり、その後も試行錯誤を繰り返しながら技の練磨に努めた。下地となる色釉の表し方、金箔の扱い方等に創意工夫が加えられたその独特な技法は、金彩の世界に新生面を拓くと共に、洗練度・完成度を高め、吉田美統はその第一人者とされる。
 2000年には日本伝統工芸展で保持者賞、翌年に紫綬保証褒章受賞、人間国宝の認定を受ける。
 金箔と地色の組み合わせから生まれる品格のある美しさ、草花文等の表現に見る雅な世界は、優美な芸域にまで高めたものとして高く評価されるものである。
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2006/11/29


橋本弥喜智商店 Hashimoto-Yakichi-shouten Hashimoto Yakichi Store

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 日本の伝統を受け継ぎ、今なお手描きで鯉のぼりを製作している「橋本弥喜智商店」。明治41年に創業、現在では三代目の橋本隆氏が継いでいる。鯉のぼり生産量日本一の埼玉県加須市にある鯉のぼり専門店の中でも、手描きの伝統を守っているのはここだけだ。
 手描きにこだわるには理由がある。手描きの鯉には、手描きの味に加えて、染めつけに顔料を使うためすぐに退色しない。また泳ぐ姿も、ナイロンより綿の方が重厚に見えるのだという。
 一方「ただ伝統を守ることだけが伝統の継承ではない」という信条を持つ。初代から続く「武州」という鯉のほかに、現代に合う幾つもの新作を誕生させてきた。
 プリントでは味わえない伝統の技が元気良く空に舞う姿が、今年も全国各地で見られそうだ。
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