NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/30


サンコンメ Sankonme 

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 サンコンメは鹿児島県指宿市(いぶすきし)山川新生町の浜児ヶ水(はまちょがみず)に伝わる伝統行事である。毎年一月七日に開催される。
 青年が顔にススをつけ、バッチョ笠といわれる竹製の平笠を被り、法被(はっぴ)を着て六尺二寸の孟宗竹を肩にかつぐ。笠と竹には無病息災・家内安全・五穀豊饒などの文字を書いた和紙が巻きつけられて、竹の中には小銭が入っている。
 その竹を目が回るまでまわし続け、ついに耐えられなくなって手を離すと竹が地面に落ちて割れ、小銭が飛び出す。この小銭はその年の幸運を祈り神棚にお供えするので、みんなこぞって拾い上げる。
 これを地域の五ヵ所で繰り返し行う。まわしている最中は周囲から「まだまだ」などの声が飛び交い、笑い声が絶えない。
 このユニークな風習、サンコンメの由来や起源については分かっていない。漁村地帯であったので、船になれない若者が船酔いした様子を表現したもの、または船酔いに慣れるための通過儀礼的なものなど諸説ある。
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メンドン Mendon 

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 鹿児島県指宿市山川利永の利永神社では、毎年一月一六日にメンドンという伝統行事が行われる。
 主人公はメンドンに扮する若者数人。女装や奇抜な服装になり、ほおかむりに顔はオカメ、ヒョットコ、鬼、天狗等の面を付けて、大根を手に人々を執拗に追い掛け回す。大根には先にヘグロという真っ黒いススが付いている。メンドンはこのヘグロがたっぷりついた大根を町民、見物人、通りすがりの車の運転手等に遠慮なくなすりつけてしまうので、見物人は次々に真っ黒になっていく。しかしこのススを塗られると、子供達はより元気に、大人たちは無病息災で一年を過ごせると言われている。
 この風習はお伊勢講の際に、伊勢神の御利益にあずかろうと神輿に集まった村人に、いたずら好きのメンドンが現れた事からはじまり、疱瘡(ほうそう)除けなどの要素も入って今の形に発展したという。
 メンドンの言葉の由来は定かではないが、とてもユニークな行事である。
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2008/1/28


揖宿神社 Ibusuki-jinja Ibusuki Shrine

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 揖宿神社(いぶすきじんじゃ)は、鹿児島県指宿市東方にある神社である。祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)他八柱。
 社記によれば、慶雲三(706)年、天智天皇の由緒の地として葛城宮が創建されたという。
 貞観一六(874)年、現在の開聞岳の大噴火により遷宮し、枚聞神社を勧請して開聞新宮を名乗った。明治維新に際し揖宿神社と改称され、現在に至る。
 指宿郷の総氏神として地方開拓の祖神、航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬され続けてきた。
 現在の社殿は弘化四(1847)年、島津斉興(しまづなりおき)によって建てられたものである。
 境内には推定樹齢七〇〇年以上といわれる楠木の大樹八株があり、全体が「揖宿の社叢(しゃそう)」として県指定の天然記念物となっている。
 揖宿神社は、薩摩藩代々の藩主から篤く尊崇されてきた、古くから知られた神社である。
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2007/9/21


知林ヶ島・小島 Chirin-ga-shima Ko-jima Chiringashima and Kojima

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 知林ヶ島・小島(ちりんがしま・こじま)は、鹿児島県指宿市東方の霧島屋久国立公園内にある無人島である。
 知林ヶ島は、田良岬北方海上に浮かぶ周囲3kmの島で、小島は知林ヶ島から北に約320m離れたところに浮かんでいる、更に小さな島である。
 干潮時には浅瀬が露出し、さつま半島から知林ヶ島まで歩いて渡れるようになる。また、小島の周辺は絶好の釣り場ともなっている。
 昔は、島の周りにクロマツ林が鬱蒼と茂り、浜風に揺られる葉の音がチリンチリンとこすれ合って聞こえたので「知林ヶ島」という名前となったと伝えられる。
 現在はマツクイムシの被害でほとんどなくなってしまったが、小島には立派なクロマツ林が残っている。
 知林ヶ島・小島は、コバルトブルーの錦江湾に浮かぶ、美しい景勝地である。
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2007/9/19


指宿の鏡池 Ibusuki-no-Kagami-ike Kagamiike Pond in Ibusuki

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 指宿(いぶすき)の鏡池(かがみいけ)は、鹿児島県指宿市開聞仙田にある広さ8ヘクタールのマール式火口湖である。
 マールとは、ドイツのマール湖に由来するマグマ水蒸気爆発による火山地形のひとつで、爆発によって生じた円形の火口の周囲に形成された、地下水面より低所にある水をためた場所の事である。
 池田湖や鰻池に比べると知られていないが、条件が良ければ湖面に薩摩富士とも言われる名峰・開聞岳が映るという隠れた名所となっている。
 鏡池は、今でこそ周囲の大木なども伐られ、水も濁っているが、昭和の初め頃まではその名のとおり、鏡のように澄みきって、開聞岳の姿見であるといわれたほど、山の姿を写した景観は実に神々しかったという。
 指宿の鏡池は、小さいながらも美しい景観を誇る景勝地である。
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縄状玄武岩 Nawa-jou-genbu-gan Ropy Pahoehoe

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 縄状玄武岩(なわじょうげんぶがん)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある珍しい岩である。県の天然記念物に指定されている。
 紀元前500年頃の開聞岳の大爆発の時に出来たもので、開聞岳噴火口から暗黒色・暗灰色の半流動体の溶岩が、噴火とともに花瀬(はなぜ)から田崎海岸一体に延々とつながって流れ出したものとされる。
 縄状溶岩は、粘性の小さな玄武岩質溶岩で、なめらかで波状、縄状の表面をもつ。
 玄武岩は、ガラスの主成分でもある二酸化ケイ素の含有量が比較的少なく流動性に富んでいる。そのため、地表に流れ出た際に、障害物があるとうねうねと曲がったり、縄状にねじれたりして、ユニークな自然地形を形成する。
 縄状玄武岩は、火山と大地の活動を知ることができる大変貴重な溶岩である。
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殿様湯跡 Tonosama-yu-ato 

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 殿様湯跡(とのさまゆあと)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市西方にある、かつて領主・島津氏が使っていたという湯殿である。市の文化財に指定されている。
 江戸時代、薩摩藩を治めていた島津家の温泉別荘跡で、現存の浴槽は天保二(1831)年、第二七代薩摩藩主・島津斉興(しまづなりおき)によって摺ヶ浜より移設されたもの。
 浴槽は、山川石と呼ばれる加工しやすい凝灰岩を組み合わせて造られており、お湯が4つの湯壺を次々にまわり、適温になるように工夫されている。浴室には洋風のタイルが使われており、大変豪華なものだった事が伺える。
 奥には「湯権現」が祀られており、現在の浴舎の前には「二月田(にがつでん)温泉殿様湯」の石碑が据えられ、代々藩主の名を記した看板や丸に十の字紋を染めた暖簾がかけられている。
 殿様湯跡は、風格ある歴史を偲ばせる史跡である。
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猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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