NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/26


東伏見稲荷神社 Higashifushimi-Inari-jinja 

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 全国に三万社以上あるといわれる稲荷神社。その総本宮、京都の伏見稲荷大社から昭和四(1929)年に分祀、創建された神社が西東京市東伏見の東伏見稲荷神社(ひがしふしみいなりじんじゃ)である。
 総本宮から分霊を奉迎したのは全国で東伏見稲荷神社だけで、関東の熱心な稲荷信者達の熱望が叶えられ「東」の伏見稲荷神社ということで東伏見稲荷神社と名づけられたといわれている。地名は神社由来とされている。
 稲荷神社の特徴である赤い大きな鳥居が迎える静かな境内。朱塗りの社殿には、宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)・佐田彦大神(さだひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)の三人の神が祀られている。本殿の裏、木々に囲まれた静かな空間には「お塚」と呼ばれる「稲荷祠十六社」がある。
 東伏見稲荷神社は、家内安全・商売繁盛・交通安全の祈願に多くの人が訪れるという。
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2007/9/11


館腰神社 Tatekoshi-jinja Tatekoshi Shrine

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 弘仁二(811)年に僧・空海がこの地に弘誓寺(ぐぜいじ)を創建するため、京都の伏見稲荷を分霊して作られたのが館腰神社(たてこしじんじゃ)である。弘誓寺の隣にある小高い丘に鎮座しており、奥州街道沿い、岩沼阿武隈の「要所」という意味でこの辺りが「館の腰」と呼ばれいたことから、館腰神社の名がついたという。
 ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)大宮姫神(おおみやひめのかみ)猿田彦神(さるたひこかみ)で、昔からこの地方の鎮守として知られる古神である。明治二年、神仏習合禁止により弘誓寺と分離した。
 この神社の入り口には、大正一三年建立の灯籠がある。お狐さまの入った灯籠を、四人の力士が支える珍しいものである。境内の石段を上がると山門や拝殿、本殿があるが、社殿はどれも昭和になってから造営されたものである。
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2007/8/27


小泉稲荷神社 Koizumi-inari-jinja Koizumi Inari Shrine

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 小泉稲荷神社は、群馬県伊勢崎市小泉町にある神社である。祭神は、倉稲魂命、大己貴命。
 伝承によると、崇神天皇の御代(紀元前97~紀元前30年)に、勅命によって伏見稲荷大明神の分霊を奉祀し、創建されたと伝えられている。
 慶長五(1600)年、領主久永源兵衛が社殿を大改修した。
 この神社最大の特徴は、拝殿前に信者から奉納された200以上に及ぶ様々な鳥居が、三列約100mにも渡って並んでいる事であろう。
 全高22.17mを誇る県下一の大鳥居と併せ、その様子は大変壮観で、幻想的風景である。
 また、商売繁盛の御利益があると言われ、初詣ではもちろんのこと、毎月1日、15日にも多くの参拝者で賑わう。
 小泉稲荷神社は、赤い鳥居が目印の、神気溢れる神社である。
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2007/5/14


竹駒神社 Takekoma-jinjya 

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 宮城県岩沼市にある「竹駒神社」。創建は古く、平安時代の初めの承和九(842)年、小倉百人一首にその名のある小野篁(おののたかむら)が陸奥守としてこの地に赴いた際、奥州鎮護を祈願して伏見稲荷を勧請して創建。後に平泉藤原三代や、伊達家歴代の手厚い庇護を受けた。
 朱塗りの一ノ鳥居をくぐり、社殿に向かって参道を進むと、どっしりと構えた随身門(桜門)が見えてくる。文化九(1812)年に建築されたこの門は彫刻や意匠に優れ、江戸後期の秀作である。仙台藩五代藩主伊達吉村によって造営された社殿は、1990年の火災で焼失し、4年後に現在の社殿が再建されている。更に進むと唐門に至る。天保一三(1842)年に建築されたもので、随身門と同じく、総けやき造り、銅板葺の屋根であるが、こちらは、そり曲がった曲線状の破風を取り入れた重厚な唐破風造りとなっている。
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2007/4/24


愛知 豊川稲荷 Aichi Toyokawa-inari 

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 愛知の豊川稲荷は、愛知県豊川市豊川町、妙厳寺境内にある稲荷である。全国各地に別院を持つほか、修行道場として僧堂を設置している。
 妙厳寺は、嘉吉元(1441)年に東海義易によって開基された曹洞宗の寺院で、本尊は千手観音菩薩とされている。
 日本三大稲荷の1つ豊川稲荷は、妙厳寺の境内に鎮守として祀られた「豊川托枳尼真天」の通称であり、同時に妙厳寺そのものを指すこともある。
 稲荷神社としては京都の伏見稲荷大社を総本山としているが、豊川稲荷は神社ではなく寺であり、信仰対象は稲荷である部分もあるものの、伏見稲荷とは同一ではなく、別格本山とされる。
 愛知の豊川稲荷は、商売繁盛・家内安全の神様として全国的に知られるお稲荷様である。
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2007/1/15


伏見稲荷 Fushimi-inari Fushimi Inari Taisha

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 京都市伏見区深草にある、稲荷神を祭る稲荷神社総本宮。
 711年、この地の豪族「泰氏族」が稲荷山三ヶ峰の平らな場所に、稲荷神を奉鎮したことが始まりとされる。
 平安時代中期、稲荷社に参詣することが習わしとなったころ「しるしの杉」をいただくという行為があった。神のご利益を受けるため、平清盛は、「保元の乱」「平治の乱」では稲荷社の杉の小枝折って、鎧の袖にさして出陣したことが記されている。
 そんな稲荷社も「応仁の乱」では戦渦に巻き込まれ、ほぼ壊滅状態となった。
 社会情勢の悪化は10年ほど続いたが、1492年から徐々に復興に取り掛かり1499年には、ほぼ新しい社が完成した。
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2007/1/7


太鼓谷稲成神社 Taikodani-inari-jinja Taikodani Inari Shrine

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 島根県鹿足郡にある稲荷神社。
 安永2年、津和野藩主7代亀井矩貞が創建。京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったとされ、日本五大稲荷神社のひとつ。
 稲荷大神は衣食住の神で、商売繁盛、産業発展、願望成就の大神として、四季を問わず参拝者を集めている。全国四万社あるお稲荷さんの中で「稲成」と書くのはここだけ。その由来は、昔お城のお倉番が鍵をなくし、切腹を言い渡されるが、稲成神社に祈願を続け満願の日に鍵が見つかり切腹を免れたことで、願望成就の「成」をとったとされる。
 奉納された千本鳥居が、トンネルのようにジグザグと参道に立ち並ぶ。
 この地は雪が非常に多く、雪化粧された鳥居や境内の姿は、白と朱色が重なりあって情緒ある景色となる。
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2006/12/15


祐徳稲荷神社 Yutoku-inarijinjya Yutoku Inari Shrine

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 佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社。江戸時代、1687年に肥前鹿島藩によって建立された。
 祭神は漁業商工業の守護神である倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、大宮売大神(オオミヤメノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)を祀っている。また、京都の伏見稲荷、茨木の笠間稲荷と並び、日本三大稲荷のひとつでもある。
 御本殿は総漆塗り極彩色舞台造の華麗な神殿で、配色は朱色がメイン。京都の清水寺を彷彿とさせる造り、見事な景観である。地元では「祐徳さん」の名で親しまれ、一年を通じで多くの参拝客が訪れる。境内近くには祐徳博物館があり、鹿島藩ゆかりの品や祐徳稲荷神社所蔵の品が展示されているという。
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