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2008/11/12


明王寺 鬼追い・鬼踊り myouou-ji oni-oi oni-odori 

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 兵庫県神戸市には、いくつかの鬼追い行事が残っているが、垂水区名谷町(たるみくみょうだにちょう)にある明王寺(みょうおうじ)の鬼追い・鬼踊り(おにおい・おにおどり)もそのひとつである。
 鬼追いは、追儺会(ついなえ)ともいわれる寺院の年頭行事である。中国でおこなわれていた、年の終わりに悪鬼を駆逐する追儺行事が伝わり、小正月から節分にかけてその年の平穏や五穀豊穣を祈る行事をおこなうようになった。
 鬼は太郎鬼・次郎鬼・婆々鬼、4匹の小鬼が登場する。太郎鬼は木製の槌、次郎鬼は木製の斧、婆々鬼は木製の槍を持つ。小鬼たちは樫の棒を持ち、頭に白い紙の細長い紙垂(かみたれ)の束を被る。
 本堂で法要が終わると、太鼓と法螺貝(ほらがい)を合図に鬼たちが登場する。小鬼は外陣(げじん)の左右両端に分かれ、2人一組になり棒を打ち合わせ床を突く。
 外陣中央では、鬼が松明を持って登場し、内陣(ないじん)の台の上に置かれた鏡餅を太郎鬼と婆々鬼が松明で叩き、次郎鬼が中央で斧を使い、餅割をする。
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2008/10/23


土居太鼓祭 doi-taiko-matsuri 

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 土居太鼓祭(どいたいこまつり)は、愛媛県四国中央市土居町にて、毎年一〇月一三~一五日にかけて開催されている祭りである。土居町秋まつりとも言われている。
 上野太鼓祭りと土居町太鼓祭りからなる、家内安全と五穀豊穣を願う祭りで、重さ約2トンのもの太鼓台を100名以上の担き夫が担ぎあげる。
 太鼓台は、幅3m、高さ5m、長さ11mもあり、神輿や山車とは異なり、その中心に太鼓があるのが特徴である。瀬戸内沿岸を中心に西日本に多く見られ、太鼓に合わせて音頭をとって担ぐ。
 土居町太鼓祭りは一三日に各地区の太鼓台が地区を周り、一四日にふるさと広場での15台の太鼓台の寄せ担きが行われる。また一五日には上野太鼓祭りがあり四台の太鼓台の寄せ担き及びと太鼓台の喧嘩祭りが小学校の校庭で行われる。
 数十台の太鼓台が一斉に担ぎ上げられる様子は迫力があり、土居町内では約40台の大人太鼓と子供太鼓が町内のいたるところで、かきくらべを演じる。
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2008/8/28


半田 銭太鼓踊り Handa Zeni-daiko-odori 

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 銭太鼓踊り(ぜにだいこおどり)は、平成一三(2001)年六月一日、半田市の無形民族文化財に指定された、成岩(ならわ)地区に江戸時代から伝わる郷土芸能である。
 江戸時代、成岩の海岸でとれた塩を足助(あすけ)方面へ運ぶ途中、豊田市駒場町で習い覚えたのが始まりといわれている。駒場の銭太鼓の起原はかなり古く平安時代という説がある。また銭が鋳造されるようになったことを祝って太鼓に銭をつるして踊ったことが始まりという説もある。
 厄払いの意味もあり、昔人々は行列になって銭太鼓を踊りながら村から厄神を送り出したと伝えられている。
 揃いの着物に身を包み、頭に花笠をつけ、手には銭太鼓を持ってお囃子(はやし)に合わせて踊りながら、ゆっくりと道路をねり歩く素朴な伝統芸能である。
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2008/8/25


大洲 臥龍太鼓 Oozu Garyuu-daiko 

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 大洲(おおず)の臥龍(がりゅう)太鼓は、愛媛県大洲市にて活動している郷土芸能である。昭和五〇(1975)年、臥龍太鼓は、景勝の地にちなんで誕生した。現在では、大洲の地に新しい芸能として根づいている。
 大小の和太鼓から打ち鳴らされるリズムは、肱川の流れに似て、勇壮な中にも優しさを持っている。
 歴史ある大洲神社境内での初打ちは恒例となっており、午前零時と同時に打ち始め、初詣の人々と共に商売繁盛・家内安全・五穀豊饒を祈願し、新年を祝う。他にも、市内の行事であるうかい開き、水天宮花火大会、新谷まつりなどで臥龍太鼓は披露されており、独特の大太鼓や締琴(しめきん)太鼓の音が響く。
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2008/7/23


数馬の太神楽 Kazuma-no-daikagura 

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 数馬の太神楽(かずまのだいかぐら)はこの地方に四〇〇年以上前から伝わるという伝統芸能である。毎年九月一五日、数馬九頭竜神社(かずまくずりゅうじんじゃ)に、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願して奉納される。
 この祭礼では、太神楽の他、兄弟が畑仕事での出来事を演じ豊作を喜ぶ、ユーモアたっぷりの「馬鹿面囃子」や「三匹獅子舞」も同時に披露される。
 太神楽は最初に披露されるもので、笛や太鼓、鐘すりに合わせて境内を清める舞である。演目によって二人で舞ったり、二人で舞っていた獅子が胴体幕を畳み込んで一人立ちで舞い出したり、と変化に富んでいる。表情豊かな獅子が見事に表現されているという。
 都の無形文化財にも指定されており、祭り当日は観光客も多く来て村は賑わいを見せるという。
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2008/7/11


西馬音内盆踊り Nishimonai-bon-odori Nishimonai Bon Dancing

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 西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)は、五穀豊穣や先祖供養を願い、秋田県羽後町の西馬音内地区に伝わる伝統行事。起原は定かではないが、一説によると約七〇〇年前に西馬音に御嶽神社を勧請した折に豊年踊りを踊らせたのが始まりともいわれている。
 昭和五六(1981)年に盆踊りとしては全国で初めて、国の重要無形民俗文化財に指定された。
 笛や太鼓、三味線の囃子が櫓の上で鳴り響く中、未成年の女子は彦三頭巾をかぶり、成人の女性は鳥追い笠という編み笠をかぶって顔を隠し、亡者に変して優雅に舞う。女装した男性の踊り子もいる。
 明るいテンポの「音頭」と、静かなリズムの「がんけ」の二種類の踊り方がある。複雑で難しい足の動きにあわせた手の動きが、なんとも美しい踊りである。
 衣装は代々母から受け継がれてきた端縫いの衣装と決まっていて、衣装の柄やデザインは各自違っている。そこには古い絹や呉服を貰い受けて娘のために作ってきた、母達の長い歴史も物語られている。
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2008/7/10


東山温泉盆踊り Higashiyama-onsen-bon-odori Higashiyama Hot Spring Bon Dance Festival

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 福島県の東山温泉(ひがしやまおんせん)は、会津若松市郊外にあり、滝が連なり美しい景色で有名な湯川渓谷沿いに温泉宿が立ち並ぶ。
 その歴史は一〇〇〇年以上ととても古く、天平年間に高僧や行基によって発見されてから歓楽街として栄え、会津の奥座敷として今もその面影を残している。
 その温泉街で毎年八月十三日から六日間、盆踊り大会が盛大に開かれる。
 温泉街を流れる湯川の上に大きな櫓を組んで、たくさんの提灯を飾り、夜の温泉街が彩られる。市民とともに、浴衣姿の温泉客や東山の芸者衆など大勢の人々が参加し、「会津磐梯山」の音頭に合わせて櫓の周りを踊る。
 毎夜毎夜、テンポの良い音頭と賑やかな太鼓の音鳴り響く中を人々が踊り明かす、賑やかな盆踊りである。
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2008/6/18


賣太神社 Metajinja 

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 賣太神社(めたじんじゃ)は三社神社とも呼ばれ、ご祭神は稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。
 天武天皇の舎人である稗田阿礼命は、朝廷に奉仕した猿女君稗田(さるめのきみひえだ)一族の居住地で知られる。天皇は、阿礼が記憶力や理解力に加え、学芸話術の才にも秀でていたのをお褒めになったといわれている。そのため、賣太神社は学問の神・知恵の神として信仰が厚く、毎年八月一六日は童話の神としての「阿礼祭」がおこなわれる。
 昭和五(1930)年、当時の奈良県立図書館長であった仲川明氏らが提唱し、全国童話連盟の人たちにより始められた祭りである。
 当日は、日本最古の書物「古事記」の語り部であった阿礼の遺徳をしのび、太鼓や鐘、鉦鼓とともに神前で「稗田舞(ひえだまい)」が奉納され、続いて地元の女の子たちが浴衣と花笠姿で「阿礼さま踊り」を披露する。
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