NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/22


古伊万里 Koimari 

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 古伊万里(こいまり)は、江戸時代に、現在の佐賀県西松浦郡有田町とその周辺地域で焼かれた磁器の総称である。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた李朝の陶工によって、17世紀初頭、中国明朝末の景徳鎮を模倣しながら有田で始まった磁器が初期伊万里で、有田焼とも言われる。以後、古陶磁の中でも文様が美しく、魅力的な焼き物として発展した。
 伊万里の港から全国各地、或いは遠くアジアを経てヨーロッパへ渡って行き、中でも絢爛豪華な金彩等をほどこした品は、ヨーロッパの王侯貴族に愛用された。
 後期の染付の色は濃く、さらに赤や金の絵の具を贅沢につかい、花文様などを器面いっぱいに描きこんだこの様式は、経済的に豊かであった元禄時代の気風を反映したものと考えられている。
 古伊万里は、マイセン窯等にも多大な影響を与えた、日本を代表する伝統の古陶磁器である。
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2008/6/6


海中盆綱引き Kaicyuu-bon-tsunahiki The Bon Festival Sea Tug-of-War

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 「海中盆綱引き(かいちゅうぼんつなひき)」は、佐賀県の唐津市鎮西町にある波戸(はど)の漁港でおこなわれる祭りである。
 豊臣秀吉が文禄・慶長の役での滞在中に、武士たちの慰安と戦没者の盆供養を兼ねて、海中で綱を引き合ったのが始まりだと言われている。
 海に浮かべた綱を飛び込んで引き合うという、この珍しい祭りで使用される綱は、毎年祭り前日に波戸の若者によって紐をより合わせてつくられる。
 「どんざ」と呼ばれる、昔ながらの漁師が身に着けていた着物をまとい、太鼓の合図で海に飛び込んだ男たちが、海に浮かぶ直径四〇センチ、長さ三五メートルの大綱を、赤と白に分かれて抱え、しぶきを飛ばしながら掛け声とともに引き合う姿は勇壮である。
 以前は旧暦七月一五日に開催されたが、現在は八月一五日の満潮時におこなわれている。
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2008/4/9


栄の国まつり Sakae-no-kuni-matsuri Sakaenokuni Festival

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 佐賀市の栄の国まつりは、佐賀城跡を中心に毎年8月の第1土、日曜日に行われる。
 昭和三七(1962)年に市内の商店街で始まった佐賀七夕まつりから、昭和四七年(1972)年の納涼佐賀まつりを経て、平成二(1990)年から栄の国まつりとなっている。
 祭りの2日間は「YOSAKOIさが」開催され、県内外から50以上のチームがよさこい踊りを披露する。期間中はおまつり広場が設けられ、オープンカフェや露天が祭りを盛上げる。
 初日は、七夕祭り、前夜祭、花火大会が開催され、翌日は趣向を凝らした神輿などが街を練り歩くパレードや各種イベント、そして飛入り参加も可能な総踊りが夕刻より行われ、3000人以上が参加して、祭りのフィナーレを飾る。
 市民参加型の栄の国まつりは、メインのイベントを軸に、毎年様々なイベントを催し、誰でも参加できる祭りへと毎年変化を遂げ、さらに盛上がりをみせている。
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2008/3/5


ワラ白蓮紋様七寸皿 Warabyakuren-monyo nanasun-zara Wara White Lotus Serving Plate

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 日本料理の美しさは、世界でも定評がある。それは料理そのものだけでなく、器の選び方に寄るところも大きい。ちょっとした家庭料理でも、風情のある器に料理を盛ると、がぜんおいしそうに見えてくるものである。器ごとに違う微妙な色と形は、自然のあり方をそのまま生活に溶け込ませる日本特有の美学。
 きちんと整形された美しさの対極にある。この「ワラ白蓮紋様7寸皿」も、手作りのため、ひとつひとつ形と色が微妙に違う。蓮の葉の模様が彫りこまれたシンプルな皿は、過分な主張がなく料理が栄える。七寸というのは、直径20・5センチメートル。どんな料理にも使いやすい大きさだ。
 小さな工房で生み出された、この世にひとつだけの器との一期一会。そんな出会いも、人生の彩りとなる。
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2008/2/25


中島宏(人間国宝) NakajimaHiroshi 

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 なかしま・ひろし。昭和一六(1941)年、佐賀県武雄市生まれ。中国の陶磁器でも最も難しいとされる青磁(せいじ)一筋に作品を作り、伝統をそのままコピーするのではなく、独自の「中島青磁」を確立したことが高く評価され、平成一九(2007)年九月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 磁器を焼く窯元に育った氏は、泥だらけになる家業を好きになれなかった。転機になったのは、父親に連れられて始めた窯跡の調査だった。「青磁なら自分の存在感が出せる」と進む道を決めてからは、窯跡を歩き、文献をひもとき、手探りで研究を続けた。常に白紙からスタートするという姿勢で臨み、中国青銅器や印象派の絵から、技法のヒントを得ては試行錯誤を繰り返してきた。
 氏は「より良いものを作らなければ、世間も自分も納得しない。原点に立ち返り、青磁とは何か自問自答したい。見た人の琴線に触れ、使う人の情が移るような作品を手掛けたい」と語る。原点回帰と創造へのこだわりが、人を感動させる作品を生み出していく。
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2008/1/15


立川青風(たちかわせいふう) TachikawaSeihuu 

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 伊万里焼と異素材との融合で、陶芸宝飾という新しい世界を誕生させた異色の作家・「立川青風(たちかわせいふう)」。1952年、佐賀県伊万里市生まれ。
 1983年から陶芸宝飾品だけにこだわり創作を続けている。陶芸も宝飾も独学で、それ故の独特でオリジナルな世界を創りだしている。
 2007年にはタヒチ産黒蝶真珠の世界的造形コンテスト「タヒチアンパール・トロフィー」の国内審査で、メンズ部門1位を受賞するなど、世界的にも注目を集めている。
 400年の長い歴史を持ち、17~18世紀ヨーロッパの王侯貴族を魅了したという伊万里焼。その、歴史と伝統を礎に現代の技術と感性を取り入れて、全く新しいものを作り出す想像力が、日本文化の発展に力を与えているのではないだろうか。
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2007/8/17


李参平碑 Risanpei-hi Monument to Ri Sampei

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 16世紀末、肥前国の戦国時代・安土桃山時代の武将・鍋島直茂が韓国出征からの帰国した際に韓国の陶工たちを日本に連れ帰ってきたという。有田陶工の祖と言われる李参平(りさんぺい)はその中の一人で、元和二(1616)年に泉山で白磁鉱を発見し、日本で初めて磁器を焼くことに成功。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。
 有田町大樽の陶山神社には、陶祖である李参平が祀られ、社殿うしろの蓮華石山の頂、有田の町を一望できる景勝の地に、この「李参平碑」が立っている。
 有田焼の創業300年となる大正五(1916)年に建立。以来、毎年五月四日に、この碑の前で「陶租祭」が行われている。
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2007/8/16


鹿島の面浮立 Kashima-no-Menburyuu Men Buryu in Kashima

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 鹿島の面浮立(かしまのめんぶりゅう)は、佐賀県鹿島市など、同県南西部一帯に古くから伝わる伝統芸能だ。
 浮立とは、平安時代の娯楽であった風流が語源とされ、毎年の秋に佐賀県南西部を中心に、各地で様々なスタイルによって奉納される神事芸能でもある。
 般若の面に似た面長の鬼面をつけ、体の前面に鼓を持った踊り手が鉦(かね)や太鼓が鳴り響く中で、豊作や雨乞い、悪霊退散を神に祈願して踊る鬼面芸の一種だ。
 その起源は、戦国時代の戦において、一帯を治めていた武将が一族郎党に鬼の面や獅子面の一種である赤熊(しゃぐま)をつけさせ、陣鉦や陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事に基づいているといわれる説や、耕作に害をなすといわれる悪霊を封じ込め、豊作を祈願する神事として今の面浮立が確立されていったと言われるなど、諸説ある。
 太鼓を叩きながら、模様のついた法被に白い股引といったスタイルで鬼面をつけて踊る姿は、悪霊を退散させるには充分な迫力と勇壮さを魅せてくれる。
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