NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/14


武蔵御嶽神社 日の出祭 Musashi-mitake-jinja Hinode-sai 

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 武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市御岳山にある神社である。祭神は、櫛真智命(くしまちのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)。
 紀元前九〇年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられる。山岳信仰の興隆とともに鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、厄除け・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えてきた。
 宝物殿には、日本三大鎧のひとつとされる国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)が展示されている事でも知られる。
 日の出祭(ひのでさい)は、毎年五月の七日と八日に行われている春の例祭である。
 徳川綱吉奉納の御輿を囲む鎧武者と雅楽の演奏者などの武者行列が、御岳山駅から神社まで練り歩くという、まるで歴史絵巻のように勇壮な行列は、毎年多くの見物客を集めている。
 武蔵御嶽神社の日の出祭は、壮大で華麗な祭りである。
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2008/2/6


善峯寺 Yoshimine-dera 

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 善峯寺(よしみねでら)は、京都西京区にある寺で、西国三十三観音霊場の第二十番札所にも指定されている。
 長元二(1029)年、源算上人によって開山されたのがその始まりで、長元七(1034)年には後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされ「良峯寺」の寺号を賜ることとなる。
 その後の鎌倉時代初期に、後鳥羽上皇から直筆の寺額を賜ったことにより、現在の善峯寺に改められた。
 応仁の乱で焼失してしまったものの江戸時代に入り、五大将軍綱吉の母であった桂昌院の援助により再建がなされた。現在に残っている伽藍の多くはこの時再建されたものである。
 その敷地は広大で西山随一とも謳われ、また高低差のある起伏に富んだ境内は四季の花々で美しく彩られ、国の天然記念物にも指定されている五葉の松などが訪れる人を楽しませてくれる。
 開祖である源算上人は一一七歳という長寿を全うしたとされ、病気平癒や長寿、健康のご利益でも知られる名刹である。
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2007/12/25


湯島聖堂 Yushima-seidou 

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 湯島聖堂は元来、儒学の学校に付随して建てられていた、孔子を祀る孔子廟(こうしびょう)であった。
 江戸初期の儒学者・林羅山(はやしらざん)が、私邸であった現在の上野恩賜公園内にあった孔子廟「先聖殿」を移築し、それが後に綱吉によって「大成殿」と改称され、付随する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めたのが、湯島聖堂の由来である。この林家の私塾はやがて官立となり、昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)となった。
 明治時代に入り、学問所は大学校、大学と改称されながら残されていたが、明治四(1871)年に文部省が置かれることに伴って廃された。
 湯島聖堂は度重なる大火に見舞われ、再建も重ねてきた。大正一二(1923)年、国の史跡に指定された翌年に、関東大震災が起き、ほとんどを焼失してしまったという。昭和一〇(1935)年に現在の鉄筋コンクリート造りに再建された。
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2007/11/26


羽村 阿蘇神社 Hamura Aso-jinja 

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 東京都羽村市内を流れる多摩川。
 その多摩川そばの崖上に佇む古社が、阿蘇神社(あそじんじゃ)である。
 その創建は西暦601年、推古天皇の御代に、推古天皇本人によるものとされる。また、承平三(933)年には平将門が社殿を造営したとも、その将門を討った藤原秀郷(ひでさと)が造営したとも言われている。その後は徳川家康が参詣し、続き家光、綱吉、吉宗など、徳川将軍家からの朱印状が続くこととなる。
 境内には藤原秀郷が手植えしたといわれる椎の大木があり、東京都の天然記念物に指定されている。
 その樹齢は八百年とも千年とも言われるが、樹勢は盛んで、将門伝説を今に伝えている。
 都の有形文化財に指定されている本殿は、一間社流造のこけら葺きの屋根など、神社建築として歴史的価値も高く、長い歴史と文化の歩みを感じさせる荘厳なものである。
 四季折々の風情豊かな地に鎮座する古社は、訪れる人々を悠久の歴史の旅へと誘ってくれるだろう。
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2007/5/21


根津神社 Nezu-Jinja 

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 東京都文京区の根津神社の歴史は古く、およそ1900余年も昔、日本神話の英雄、日本武尊が創祀したのが始まりとされてる。
 その後、五代将軍徳川綱吉公に世継が決まった際、現在の社殿を奉建、千駄木にあった旧社地から現在の場所に移った。
 御祭神として、須佐之男命や菅原道真公も祭られている。
 入り口から表参道を通り、桜門をくぐると唐門を構えた社殿が見えてくる。
 本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る権現造の傑作と評される社殿の左手には約50種、3000株のつつじが、参拝に訪れた人々をもてなしてくれる。つつじの花季には文京つつじ祭りも催されている。
 九月には、六代将軍家宣が定めた例祭が今も行われている。この例祭は、山王祭、神田祭とともに、江戸三大祭と言われ、この時出される山車である大神輿三基は、家宣公が奉納したものである。
 つつじを愛でながら、社殿に満ちる荘厳な空気を吸い、道真公に頭が良くなるようにお願いをする。そんな一日も悪くない。
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2007/4/20


六義園 Rikugien Rikugi-en Garden

Jp En

 六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込にある都立公園である。
 江戸時代の初め元禄八(1695)年、幕府側用人、柳沢吉保が、五代将軍・徳川綱吉より与えられた駒込の地に、自ら設計、指揮し、7年の歳月をかけて回遊式築山泉水庭園を造り上げたことにはじまる。
 その繊細で温和な庭園はプロデューサーである吉保の文学的造詣の深さを反映し、造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられた。
 明治期に実業家、岩崎弥太郎が購入、昭和一三(1938)年に東京市に寄贈され、一般に公開されるようになった。
 海抜35mの藤代峠からは園内を一望でき、他に、つつじ茶屋・ささかにの道・渡月橋・滝見の茶屋・蓬莱島・出汐の湊・妹山・背山など、数多くの見所がある。春には、枝垂桜の優美な姿を愛でることができる。
 六義園は、まさに都会に浮かぶ桃源郷であるといえよう。
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2007/2/7


護国寺 Gokoku-ji 

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 護国寺は、東京都文京区大塚にある真言宗・豊山派の大本山である。本尊は如意輪観音。
 護国寺は、天和元(1681)年、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で、雑司ヶ谷御薬園に建立された。
 開山は亮賢。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所とされる。
 元禄七(1694)年、綱吉は桂昌院とともに護国寺に参詣し、以来桂昌院は30数度、綱吉は16度に及び護国寺を訪れている。
 護国寺は徳川家に所縁の深い寺であったが、明治になって三条実美がここに墓を建てると、以後顕官、軍人、実業家が競ってここに墓所を定めた。
 また、茶道の総本山としても有名である。
 護国寺は、近代日本との縁も深い、厳かな寺院である。
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